白珠の巫女------STAGE3 露見

 夜も更けた。このところ続け様に野宿をしていたためだろう、屏陣丸はそろそろ布団が恋しくなっていた。身形も薄汚れて乞食の類に間違えられても文句は言えなくなっていたので、風呂も欲しかった。だから多少値が張ってでも旅館に止まろうと決意したのであった。
「何もこんな所でなくとも……」
「ま〜ま〜ま〜」
鳶飛の方は余り乗り気ではないようだったが、金を払うのは自分なのだからと、屏陣丸は笑いながら宿帳に筆を走らせた。
 大きくは無い館内ではあった。それでも何人かは客が見えた。料理の方もそれなりに豪勢であり、何より温泉が付いていたことが嬉しかった。何日かぶりの風呂である、至極幸せであった。しかし時折覗いた鳶飛の表情は、常に曇っていた。
 寝る寸前までそれは続いた。鳶飛は怯えていた。終始彼は、生きている限り、向かい来る『死』と対峙せざるを得なかった。
「もう寝るよ?」
「ああ」
冤罪が彼を、追い込んでいる。誰にも理解されないまま、真実を明らかにしないまま、周囲は彼が消えるのを望んでいる。それが何も生み出さない事を、けれど、そうせざるを得ない事を、鳶飛は独りで噛み締めていた。
「灯り消すね」
 灯っていた橙の光に息を吹きかけた。部屋の空気は暗黒に染まった。


 屏陣丸が目を覚ましたのは夜半であった。別に尿意のためではないが、勾玉の中の天界武者・烈魂が起きろと騒ぎ立てたのである。重い目蓋を擦りつつ、霞んだ声で屏陣丸はぼやいていた。
「……何?」
“屏陣丸、何か、何か妙だ。隣のヤツがいない”
「…便所でも行ったんじゃないの?」
 目を横に向けた。隣で寝ていたはずの鳶飛の布団は、引き裂かれ襤褸を振り撒いている。中の綿が所々はみ出て、雑巾にもなりはすまい。
「……鳶飛?!」
置いていた鎧もなかった。さらに目をやった障子戸は壊れている。何故自分が寝ていたのか分からないくらいに、この部屋は荒れていた。何かが自分の身から引いていくのを感じつつ、屏陣丸は傍らの白い鎧を纏った。
「何で?!こないだの……『吟喃』って奴ら!?」
“知らん!気が付けば既にこの有様だ。用心しろ、何処に何がいるか……”
「……」
目を配らせ、刀に手を掛ける。相手は、ひょっとしたら天宮最凶の殺し屋かもしれないのである。何であれ油断はできない。溜まっていく唾を飲み込み、息は深く吸い、吐き、
「あ、そんな力まなくていいっスよ」
間の抜けた声が上方から聞こえた。見れば自分と同じくらい、若しくは若干年下の少年が天井に張り付いていた。刀を握っていた力が強まる。
「少し待って下さいね、今下に降りますから。……よっ、と。どもどもスイマセン。ああ、ちょっと!自分敵じゃないっス!!怪しいモンですけど、敵じゃないっスからぁ!」
「敵じゃ無い?『吟喃』の奴らだろう!!鳶飛を、鳶飛を何処へやった!」
少年が畳に足を付くなり、屏陣丸は刀を抜いた。敵である、そう理解した。奇妙な、橙に緑を混ぜたような色合いのコートを羽織り、車輪付きの靴を履いたその少年は、今にも泣き出しそうである。
「違うんっス!!鳶飛サンとか、知らないっス!自分別の仕事で此処に来たんですからぁ!!」
「別?」
屏陣丸は、眉を顰めた。ガタガタと震え、必死に首を振る少年相手に、少しだけ力を抜いた。
(あいつ、どう思う、烈魂?)
“『気を抜くな』さっきそう言った筈だぜ”
 怪しむな、という方が無理である。横目で、駄目になった布団を見つつ、屏陣丸は再度刀に力を込めた。
「別の仕事だと?じゃあ一体、何しに来たか言ってみろ」
「自分は……そのぉ……」
 少年が何か言いかけたその時に、屏陣丸は後ろの首筋に異物感を覚えた。心なしか烈魂が叫んだ気もした。振り返れば其処に、瓶が飛んできている。思わず抜いた刀で叩き割った。砕けた硝子とともに舞い上がる、粉。
「これ……?!」
確認する間も無く睡魔はやって来た。重く圧し掛かる眠気。それは抗うことが出来ないほどに強力で、人為的な、作られた眠りである。徐々に痺れだした手足を床に付き、そう思う。薬か何かが、狂わせている、と。
 少年は、申しわけなさそうに立っている。
「自分は『吟喃』拷問専門・『畏唾天』の邇蔓。アンタがムチャ強に変幻しないよ〜にするための、『囮』っス」


 少しだけ、独りになりたかった。何故だかは知らない。その方が楽だからかもしれない。屏陣丸と一緒の時は、確かに楽しいが、辛い。自分が本当に誰かを不幸せにしている気がして、苦しい。もしあの若武者の笑顔が消えるような事があればそれは自分の責任である。それが、怖い。
 だからこのまま、何処かに身を眩ましてしまえば良いのかも知れない。それは毎晩考えていた。元々生きているかも死んでいるかも、如何でも良い様な人間なのだ。あの集団、『吟喃』に入ったときから、命など捨てていた筈なのに、今更死を恐れているなど、御笑い種である。長い事、散々殺してきた。今はもう動かない、この鎧に付いた無数の触手『歪矢礼手』を使い、どれ程の人間を殺めて来たことか。自分は死して当然の男なのである。
 だが、納得がいかないのだ。其処が今尚生に執着する所以なのだ。あれ程信じていた仲間に、こんなにも信じられない自分が、嫌なのだ。弁解などは結局は何の意味も持たないのだけれど、それでも――
(止めにしよう)
唇を噛んだ。宿に戻る事にした。
 部屋に戻るなり、鳶飛の心臓は大きく鼓を打った。荒れに荒れていたのだ。自分が寝ていた筈の布団は襤褸切れと化し、屏陣丸が壁に背を向け虚ろになっている。
「……屏陣丸?!」
「あ、駄目っスよ近づいちゃ。起こさないで下さいね、色々厄介だから」
声のする方へ身体を向ける。予想通りの顔が其処にはあった。
「邇蔓……!」
「おひさしぶりっス」
愛嬌のある笑顔で邇蔓は軽く会釈した。車輪の付いたその靴で、不安定なバランスをとりながら立っている。周囲を見渡したが、彼以外は姿が無い。
「一人か?」
「そうでっぇ〜っス。分かってると思いますけど、鳶飛さんを『処刑』しに来ました。良い機会だから『処刑』の練習しろって、猟雅さんが」
「馬鹿にしやがって…………!他の奴らは如何した!!」
 思ったのだ。こんな状況になって、何故誰も様子を伺いに来ないのかと。不審に思うものが一人位いてもいい筈ではないか?
「他のお客さんっスか?大抵死んじゃいましたよ」
「……お前、カタギを?」
「そんな……殺してないっスよ!鳶飛さんの部屋聞いたら知らないって言うんで、言うまで指折ったり爪剥したりしてたら発狂して死んじゃったんスよ。……あ、最初っから旅館のヒトに聞けば良かったんだ。やっべ」
「………」
 肩に手をやった。動く筈も無い、壊れた『触手』。これが動きさえすればと、切に思う。戦う術が何も無いこの状況を、鳶飛は嘆いた。
「ま、そういうとこっスよ。んじゃ早速」
器用に足の車輪を滑らせ、邇蔓が近づいてくる。笑顔である。鳶飛は部屋の前の渡り廊下へ出た。逃げるしかないのだ。
「♪」
間髪入れず、一瞬の隙も見逃さず、邇蔓の靴の先端がみぞおちに刺さった。続け様にもう片方の足で鳶飛の足は払われ、見事に転んだ。
「がっ……!?」
這い蹲るように鳶飛が逃げる矢先、その頭を邇蔓が思い切り蹴る。頭の中が掻き回された様な錯乱の中、それでも、鳶飛は逃げた。
「駄目っスよ」
 その車輪を軽く滑らせ、邇蔓は加速する。足を曲げ、伸ばし、宙に浮き上がるその身。そのまま狙うは、鳶飛の足首。
「てや!」
鈍い音とともに、邇蔓の全体重が鳶飛の足首に圧し掛かる。砕けた。千切れた。最早歩く事は、ままならぬ。声にならぬ声を上げ、鳶飛は涙を浮かべた。
――それでも、逃げねばならぬ。それしか出来ない。
「だからぁ!」
床に着いた手、その肘を狙い、靴の車輪ごと踏みつけた。同じような音が内側から響いた。明後日の方向を向く前腕。漏れる悲痛の声。
「次は♪」
振り上げる足。邇蔓が狙うのは、鳶飛の顎先。
「……!!」
「大丈夫っス、死にはしないっスから」
風を切り、音を上げ、その奇怪な靴が振り落とされた。

「止めとけ、邇蔓。それじゃあ喋れなくなっちまうだろうが!」

 声に驚き、邇蔓がその足を止めた。鳶飛は駆け巡る痛みの中で、顔を其方に向ける。
(……一人じゃなかったか)
邇蔓同様に知った顔だった。常に根拠の無い自信に満ちていて、わけの分からない格好で気取っている、やる気の無い男。睨み付けた眼差しのまま、その男は下駄の音を鳴らし、此方に近づいてきた。
「よお、調子はどうだい、『歪矢礼手』の鳶飛?」
「……討々軌」
ニヤついた表情で、討々軌は顔を覗きこんできた。紅いマフラーを床まで垂らしていた。いつ見ても眼に痛い色合いだ。
「無様なもんだな、元・解体専門がこの様かぁ?昔の威勢は如何したよ、ガハ、ガハハハハ?!」
 そう言って、討々軌は鳶飛の頭を掴むと、無理矢理に口を開け、何やら薬のようなものを飲ませた。なすがままに、喉に通す。
「西洋で作られた『自白剤』ってヤツだ」
 薬の所為か、如何なのか、意識が少し虚ろになり始めた。いつの間にやら、邇蔓が横に移動していた。
「なあ鳶飛ぃ、何でお頭を殺した?」
「俺は殺しちゃいない……」
眠気にも似た気だるさがあった。だからそう答えた。嘘などつく気は毛頭無く、ただ、思いついた事だけを話した。だがその答えでは、討々軌には不服のようであった。
「邇蔓、やれ」
声とともに、鳶飛の指が限界を超えて折れ曲がった。弾けるようなその音を、邇蔓は笑って聞き入っている。
「もう一回聞く。何で殺した?」
「だから、俺じゃない」
同様にもう一本、折れる。先の薬の所為か、痛みは抑えられているのだろうが、死んだ方がましなくらいに酷いことには変わりない。
「……なんていうかよぉ、強情だな。よし、質問を変えよう。お頭の持っていたあの鎧を何処にやった?」
「だから……!」
 今度は肩が外れたのを感じた。右の肩である。指にも況して痛みはハッキリしていた。少しだけ息を荒げ痛みをごまかすも、気休めにもなりはしない。
「手前が殺したんだな?」
「違う」
「お頭は死んだ、ばらされてな」
「俺じゃない」
 そうか、と言い、不意に討々軌は笑い出した。笑顔を鳶飛に向けた。懐から、何やら瓶のようなものを取り出す。そのままその瓶を、鳶飛に向かい投げつけた。瓶は手前の板床で砕け、液体が飛び出し、少しばかり鳶飛の顔に付着した。酢いた匂い。液の掛かった部分が、焼け爛れる。鳶飛は悶えた。
 血が充満した眼を見開き、討々軌は苦痛に歪んだ鳶飛の顔を持ち上げた。
「手前がよぉ……手前がお頭を殺ったんだろ?!答えろよ、ハイそうですってよお!!実際如何だって良いんだ、それが真実か如何かなんてな!皆も同じだ、納得できねえんだよ、お頭が死んだなんてな!だから手前が死ねばそれで良いんだ、皆納得できる!『お頭の鎧目当てに手前が殺った』ってな!……真実なんて、如何でも良いんだ――」
「俺は、俺は――」
手前が殺ってねえ事は知っている。誰が殺ったのかも知ってる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。暗空と猟雅から聞かされた。だがそれじゃ、あの答えじゃ納得できねえんだよ!!」
「……!」
眼の前で震える、血眼の男を、鳶飛は見つめた。
「だから言え、一言『俺が殺った』と。そして死ね、俺たちの為に」
 あれ程信じていた仲間に、こんなにも信じられない自分が、嫌なのだ。弁解などは結局は何の意味も持たないのだけれど、それでも真実は何の意味も持たなかった。分かってはいた事だけれど。
「……馬鹿みたいだ」そう吐いて鳶飛は泣いた。
 目をあちらに向ける。白い若武者が一人、未だうな垂れ意識を失っていた。自分の所為だ。自分と関わったばっかりに、あんな目に遭ってしまった。
――自分は、生きている事自体が罪なのだろうか?自分は生きたいと思っては、いけないのだろうか?
「来るな、討々軌……解すぞ……」
「解す?何も出来ねえクセに粋がってんじゃねえぞ!『歪矢礼手』は壊れて使えねえんだろ、知ってんだよぉ!!」
「壊れた……か」
そう、壊れたのだ。運命は、あの日急に壊れたのだ。あの『蒼き栄光』のように、壊れて、否定されて、周囲を巻き込んで――
再度、屏陣丸の方に目をやった。首からぶら下げた勾玉が、月影に照らされ、蛍のように光っていた。彼を、巻き込んではいけないのだ。彼には未来がある、自分とは違い、明るく輝いた行き先がある。だから――
(………)
 顰めた眉を痙攣させて、ますますその眼を赤くして、討々軌が懐からまた何かを取り出した。鈍く光っていた。黒い、筒が先についている。拳銃であった。
「言え、鳶飛。手前に選択の余地はねえんだ……。もう良い、止めだ止め!おい邇蔓!こいつをぶち込んでやれ」
 何発か弾を込めた銃をほおり投げた。手にした邇蔓は、困った顔でそれを見つめた。
「撃つんですか?死んじゃいますよ!」
「手前何しに来たんだ?『処刑』って自分で言ったよなあ!?猟雅が一目置いてるからってなあ、そんなんで『吟喃』やってんじゃねえぞ!」
「でも……怖いっスよぉ」
「頭だ、一発で終わせ」
討々軌は頭を掻き毟った。憤っていた。しかしこんなにも静かに『キレた』討々軌を見るのは、初めてだった。日頃は如何でも良い事でさえ激動する男だった。
 轟音が鳴った。火薬の匂いとともに拳銃から弾が飛び、そのまま肩を突き抜けていった。其処からも、また、激痛が噴出す。
「……何やってんだ手前!!?」
「スイマセン!やっぱ自分には無理っスぅ……」
「ああウゼぇウゼぇ!!貸せ!俺がやる!」
涙目の邇蔓から拳銃を奪うと、すぐさま銃口をこちらに向けた。得意の睨みを、どこか虚ろにして、討々軌は鳶飛を見つめた。
「討々軌」
「何だ!」
「俺の『歪矢礼手』、もし壊れて無かったら如何する?」
「……ハッタこいてんじゃねえぞ!使えるんなら始めから使ってるだろが!」
「そりゃ、そうだ」
 溜息を吐いた。疲れたのだ。この痛みも、この状況も、この男の顔を見るのも。もう終わりにすべきなのだ。ここが幕を下ろすタイミングだ。
「討々軌、その襟巻き、少し長すぎだぜ」
「? ああ?馬鹿にしてんのか!?」
「忠告、ってやつだよ」

大きくバランスを崩し、討々軌の身が一瞬宙を舞い床に叩きつけられる。

「?!」
「一本、一本だけは使えるんだ。『蝕手』を手前の襟巻きに絡めておいた。……屏陣丸、今だ!!」
 邇蔓が、討々軌が驚く間も無かった。奥から白金の武者が現れた。眠っていたはずの、屏陣丸。眼は白目を向いたまま、その若武者は立っていた。
「小僧?!そんな、馬鹿な!象でも暫くは眼を覚まさねえ麻酔だぞ、まだ半刻もたってねえ筈だろ――!」
転んだままの姿勢で、うろたえる討々軌。少しして邇蔓が走り出した。
 邇蔓は跳んだ。そのまま身を回し、蹴りを屏陣丸の頭に向かい叩き込んだ。屏陣丸はかわす素振りも見せず、その蹴りが当たるよりも早く、速く、鞘に収めたままの刀で邇蔓を床に叩き付けた。打って、撥ねるその身。何でもなかったかのようにのた打ち回る邇蔓を横へ除け、屏陣丸は一歩一歩踏み出してくる。
「良いねえ、自分で動くっていうのは。勾玉の中で『魂融合』するのとは違う。意識も体も共有しているわけじゃない、俺の意志だけで動く。『自由』ってやつだな」
 白目を向いたまま、屏陣丸は呟いた。ゆっくりと歩いてくる。その胸の勾玉を緑に輝かせながら、ゆっくりと。
「バ…化け物……!」
「化け物、っていうのは酷くはないか?むしろ生きている人間相手にそんな仕打ちをするお前らの方が、よっぽど化け物だと思うがな」
討々軌の顔を一瞥、鳶飛の方に向きなおし、また屏陣丸は歩き出す。鳶飛は眼を細めながら、その様子を見ていた。
「邪魔するんじゃねえ!!」
 叫びの後に再び、三度、例の轟音が響いた。弾は放たれた。確実に当たる近距離で放たれた。だがどれも、討々軌の撃った弾丸は、屏陣丸をかすめ彼方の闇へと消え逝く。まるで風を、風そのものを狙ったかのように無力に、虚しさだけを残していった。
「何で当たんねえ!?」
吼える討々軌をそのままに、後ろに倒れた邇蔓など尚更かまう事無く、屏陣丸は鳶飛を抱えた。少しだけ鳶飛は安堵を覚えた。すっかりガラクタになった自分の身体を見つめつつ、屏陣丸の白金色が赤黒く染まるのを見つけた。
「すまねえ……」
「兎に角ここを去ろう、……ええと、名は何だったか?」
「鳶飛だ」
「物覚えは悪い方でね。俺は烈魂だ、宜しく」
 柔らかい風が、その場に吹いた。殺し屋二人と血の匂いを残して、風は去っていった。



「…………鳶飛!?」
眼が覚めたときには、座敷の布団の中であった。何故此処にいるのか分からない。此処は何処だ?
“お目覚めかい、坊ちゃん?”
頭の中で烈魂が語りかける。周囲を見渡してみた。薄暗い灯り、鼻に付く匂い、木造の室内。
「此処は……?一体何が?」
“此処は医者だ。鳶飛が少しばかり怪我してな。お前は殺し屋連中に麻酔打たれて、暫く、寧ろ丸一日寝込んでたんだ。以上”
「………」
道理で体が重い。丸一日など寝た例は無かったが、何か物凄く時間を無駄にした気がする。自分は急いでいるというのに――。
「そうだ!鳶飛は、鳶飛は大丈夫なの?!」
“命に別状はないと。だが、あれは半死人だ。肉体的にも精神的にも限界迎えてたからなぁ。今横になって休んでる”
 寧ろそれしか出来ない、とは付け足さなかった。
“(あれだけ、拷問みたいな事されてれば、な……)”
何があったのか、屏陣丸には理解しかねたが、鳶飛の容態が芳しくは無い事だけは伝わってきた。焦る心地で鳶飛の元へ行こうした矢先、烈魂が静止したので、大人しくする事にした。
“そっとしといてやれ、今は行くな”
「でも……」
“いいから”
 止まっているように静かな時を感じて、屏陣丸は自分の手を見た。何も出来ない手だった。何処からか聞こえる時計の振り子に耳を傾け、束の間の永劫を味わってみた。素っ気無いものだった。
“あいつはな、裏切ったんじゃない。裏切られたんだ、仲間にな”
「……うん」
“信じていた人間に、親や兄弟よりも近しい者から、存在を否定されたんだ。分かってやれ。それがお前に出来る事だ”
埃臭い空気に、漢方薬か何かの匂いが混じっている。それを深く吸い、また大きく吐いた。
「やっぱ行くよ」
“そういう優しさってのが、かえって痛いときもあるんだ”
「その痛みだって、耐えてもらわなきゃ」
“……勝手にしろよ”
 立った。眩んだ。覚束ない足取りであったが、徐々に確かにして、戸を開けた。其処には体中に白い包帯を巻いた鳶飛が、布団の中に入っていた。眼は、天井から下がる灯りを見ている。
「鳶飛」
声に気付いて、首を回す。いつに無く弱々しい眼だった。殺気は感じられない。
「……もし、お前がいなかったらあそこで死ねたんだろうな」
呟きに対し、屏陣丸は答えなかった。黙って、鳶飛のその眼を見つめていた。
「俺は死んだ方が良いのかも知れない、そうすれば、あいつらは苦しまずに済むらしい。俺はその気だった。いつ死んでも、いい筈だった」
 屏陣丸は歩いた。あの時の輝きも、鬼気迫る気迫も微塵にも見せず、俄かに微笑を浮かべて歩いた。
「でも、俺は生きたいんだ」
鳶飛の眼が潤んでいるのが分かった。眼からつつと涙が流れた。小刻みにその身は震えていた。
「俺は、生きていて良いのだろうか?」
奥に花が挿してあった。紅く咲かせていた。何も語らなかったが、生命を振り撒いていた。その足で、立っていた。
 屏陣丸は鳶飛の胸に手を当てた。静かに、大きく、鼓動は鳴っていた。
「良いってさ」
独り、強く、鳴っていた。



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