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「なあ。鳶飛は何しに破亜民我夢に行くの?俺は就職・・・だけど」
 おもむろに問うた昼下がり。ある飯屋の一角で、白い地味ったい鎧の若武者が傍らの相棒に問う。汁物に焼き魚、五穀米といった定番の献立の食事一式を口に含ませながら、屏陣丸は机挟んで向こうに対峙する鳶飛に言葉を掛けた。
「お前には関係無い」
 先日知り合ったばかりの、自分と余り歳も変わらぬ、この血の臭いのする若者は、天宮最凶殺戮集団『吟喃』(そんなもの、知らなかったが)の裏切り者。自分のものか他人のものかは知らないが、所々血に黒ずんだ薄汚い鎧を纏うその若者は、無実の罪で仲間たちから追われているのである。
「他人の事より、お前は如何なんだ?唯のへタレが『紅き竣功』の刃を防いだ、ありえねえ。何時も“誰か”と話す素振りも気になる。他人に何か聞く前に、手前の事洗い浚い話すべきなんじゃねえのか?」
「・・・・・」
 全く、全く以ってその通りである。この首より垂れ下がる勾玉に封じられた天界武者、詳しい仕組みは分からないが、それが自分に何らかの形で力を与え、今尚此処に居るという事実を自分は未だ彼に話してはいない。別に話しても良いのだけれど、その機会が無かっただけなのだ。
(話しても、良いんだよね?)
頭の中で勾玉の住人に問う。
“別に。お前が決めていいんじゃないの?俺は何も困らないし、失わない”
(いや、世間体とかさ・・・)
“大事にさえしなきゃ如何でも。その男、悪い人間とも思えないしな。何ならお前の代わりに体貸して貰ってもいいし”
そんな身も蓋も無い。要は自分が良けりゃそれで良いのかよ。
 この勾玉、烈魂と名乗った天界武者は、遠い昔の所業の為に、今こうして封印の罰を受けているのである。『和魂』、後で知ったがこの地上を魔の手から救った伝説の力は、この男によって齎されたものであるらしい。強力過ぎたその力、それ故烈魂の為した『贔屓』はこの世の秩序を大きく歪め、彼は咎められ、封印を受けた。何時開放されるかも分からない永遠に近い罰。其れでも彼は、善行を積めばその内赦されると信じている。他者と自分を一体化する天界の秘術(らしい)『魂融合』、其れを使用する事で何とか身体の自由を得ている彼にとって、自分は媒介の道具でしかないのかも知れない。
「だったら言うけど・・・・」
 許しを得たので、鳶飛に向い直り、口を開く。自分が何者なのか、どれ程とりえの無い田舎武者で、機動烈士隊に憧れ、破亜民我夢を目指し、その昔拾った大切な勾玉に天界武者が入っていた事や、自分も未だ困惑している事云々・・・・・。洗い浚い、話せる事は全て話した。常に鋭く尖らせている鳶飛の眼は丸く、此方を見ている。
「勾玉・・・天界・・・?」
まあ、信じられないのも無理は無い、半ば作り噺の様な、馬鹿げた人生だ。
「さあ、俺は話したぞ。今度は君の番だ鳶飛。何しに破亜民我夢に行くんだ?」
 開いた眼幅はまた縮まる。何時もの鳶の様にきつい面持ちだ。少し戸惑った様子ではあったが、箸を置き、鳶飛は閉じた口を開く。構わず自分は飯を食らう。
「大将軍を殺しに行く」
思わず口の中の米を噴く、真剣な面持ちの鳶飛に掛かった。頭の中では烈魂が大笑いしていた。天下の大将軍を殺す、馬鹿でもそんな台詞は吐かない。自分が嘯いたら爆笑ものだろう。
“アハハハハハ!こいつ、頭痛い奴か!?”
 笑うに、笑えない。戸惑う自分を刺すきつい目線。ああ、彼は本気なのだと実感させられる。だが、天下の殺し屋『吟喃』がそう言うのだから何だか現実味がある。嘘っぽいし、本当っぽい。舌打ち、鳶飛は続ける。
「昔、そう、昔の事だ。手違いで殺し掛けた事がある。俺達『吟喃』は幕府お抱えの人間とは殺リ合っちゃいけない事になってる、況して大将軍、俺は直ぐに手を引いた。――だがな、初めてだったんだ。殺す殺されるって次元じゃ無く、戦う以前に負けたのはな。あの存在感、畏怖、輝々たる神々しさ。逃げながら、胸を撫で下ろした自分が今でも許せねえ。間違い無しにあの男は天宮の『頂点』だ」
「まあ、大将軍だからね」
「俺は『紅き竣功』よりも弱い。御頭にも、猟雅にも、怨燕には歯も立たない。お前にだってきっと負けるのだろうな。俺は、もうじき死ぬ、殺される事は明白だ。だからその前に見てみたい、『頂点』を。そして、あの時逃げた自分を・・・・・」
感極まったか、定食の乗った机を思い切り叩く。言わずとも茶碗やら何やらが宙を舞い、中身が少し零れる。急に騒がしくなる店内、何事かと周囲の人間が向ける視線に愛想で答え、何とか場を収めるのは自分の役目であった。うんざりした眼で見る自分に気付き、鳶飛はやっと自分の世界から戻ってきた。
「済まない・・・」
少し意外な言葉の様に感じた。殺し屋といっても、様は人間だものなぁ。
 何処か鳶飛の話に、自分を重ねてみる。形は違えど、本筋は同じ。自分も鳶飛も過去に垣間見た“憧れ”を追いかけ、今此処にいる事は違わない。二人が二人、自分の前に姿を見せた英雄に少しでも触れようとその影を追っているのだ。そう思うと彼の鋭い眼も少し緩んで見える。
「まあ・・・うん。行こう、破亜民我夢へ!」
とりあえずそんな下らない言葉しか言えなかったが、精一杯の笑みで鳶飛に向う。破亜民我夢まで後、一週間位。




 夢を見た。幾度と無く見た、思い出したくも無い、忘れる事も無い過去。何度見ても同じ場所で始まり、同じ筋書きで終わるその夢。
「いい加減俺に剣教えてくれよ!さっさと死んでその刀くれよ!」
「とんでもねえ餓鬼だな・・・雌雄、刀は眼で盗めって言ってるだろ」
 紅鎧の浪人はそう答える。家を追われた自分にとって、彼は父であり、兄であり、師であった。紅葉くれはと名乗ったその浪人は屈託の無い笑みを浮かべ、若かりし頃の自分の肩を叩く。襤褸ついた長屋の一角である。擦り切れた畳のこの部屋には、自分と紅の浪人の他にもう一人、錆付き掛けた機巧。四角の頭部、汚れた身形、異形の鉄機武者。少し前に紅葉が仕事先で出会った宿無しの鬼。自分も優しく迎えてくれた男であるから、例外無く、紅葉はこのガラクタも唯でさえ狭い家に招いた。家は益々小さくなって、騒がしくなって、毎日が、楽しかった。紅葉とは何処に向う、それは仕事場。用心棒である彼は依頼人の邸宅の警護の為、家を出る。傍らにあのガラクタを率いて、仕事場へ。止めろ、行くな――
 そこで場所は跳ぶ。夢とはそういう物だ。帰りの遅い紅葉を迎えに向った先で見た、惨事。幾十もの人間が骸と化し、塵の様に横たわったある屋敷の庭。紅葉もまた、例外ではなかった。自分が無敵と信じた男は、自らの熱い血でその紅い鎧を一層鮮やかにし、眼を白に、息絶えていた。片腕を無くし、腹から臓物を垂れ流して紅葉は散った。夢事の様に、悪い夢の様に、十五の自分は骸を必死に揺さぶり、咽び泣いた。その姿を見つめる、異形の鬼。
この鉄機が全部やったのだと、自分は本能的に理解した。彼もまた薄汚い錆に血を絡ませ、その三又の槍を下げ立っていた。
――殺してやる
俺は呟いた。涙ながらに、紅葉が握っていた薄刃の長刀を握り、叫んだ。前々から欲しいとせがんだその名刀は、思ったよりも容易く手に入る。眼の前の鬼を殺す、唯その憎悪一心に握ったその刀、だが其れは直ぐに、自分に扱えるもので無いと知った。
――殺せ
鬼は言う。殺せと、そう。俺は何だってする、如何なっても構わないし、赦されるとは思っていない。少しでもお前の気が晴れるなら、如何にでもしてくれ、と。
その言葉は、異常に辛く突き刺さる。涙こそ流さなかったが、鬼は、泣いていた。
「・・・今じゃ無い!俺はこの刀を、『紅化粧』で・・・・っ!お前を思う存分斬る!!其れまで・・・待ってろ!!」
鬼は黙って頷いた。不細工な泣き顔を惜しげも無く向ける餓鬼の戯言に、真剣に頷き、去っていく。
 鬼は泣いていた。今になって思えば、自分よりも深く。
 鬼の名は、伝内。鬼機、伝内――

「・・・・!!」
 布団から飛び起きた雌雄の眼に差し込む陽。見ていたものは、夢であったと知る。静か過ぎる部屋に響く、自分の荒げた呼吸音。悪夢。気分が悪い。
 程好く温まった布団から抜け出し、廊下を伝う。夢心地、今は現か否か。覚束ない足取りと中途半端な覚醒。見る限り、如何やらもう昼に近いようだ。それでもこの屋敷の中からは音一つしない。世の中から棄てられた、馬鹿げた男六人が雑居する場所とは思われぬこの静寂、機動烈士隊屯所にて。
 茶の間に出ても、誰一人いない。何時もなら必ず誰かが居る、その筈だった。何か在ったのだろうか、自分が寝ている間に、何か。
音。目脂を指で払い、外の庭を見た。其処に在るのは鍛錬に励む少年の姿、龍の様な眼差しを向けながら汗を光らせる、自分より五も下の若者。『蓮牙』正統後継者、火蓮。
「あ、雌雄やっと起きた」
仮想の相手を蹴り、突き、払い。途中で少年はその動きをハタと止め、先程とは別物の、丸っこい眼で此方を見た。「火蓮」、そう呟く間も無く少年は駆け寄り、予め用意していたのだろう、手拭で汗を拭きながら言葉を続ける。
「お早う、ってもう昼だけどね。ああ、今日は俺と雌雄しか居ないから」
「皆は?」
「磁武は大将軍様の御使い。明烈と空牙はお城。雌雄中々起きないから、空牙で良いやって、明烈が」
「何の用件だ?」
「さあ、最近『闇』の奴らの暴動が流行ってるからそれじゃない?ここぞとばかりに幕府転覆騒動だもんね、大変だよ。・・・・・そうだ、百式はナントカって山に行くから。二三日帰って来ないって」
 十分納得のいく説明ではあった。恐らくは火蓮の察しの通り、ここ数日天宮各地で頻発している暴動についての話か何かだろう。ここ破亜民我夢に『魔界』と名乗る五人組が来訪、『光の者』の敗北を仄めかす類の話は瞬く間に流れ、其れが『闇の者』及び闇軍団の残党度もの反幕精神を奮わせる、至極当然の流れであった。それでも我が主君・稀代の『変人』大凰帝は『闇国』との和平を結び続ける気でいるのであった。
 日光が虚ろなほど明るい。もう秋だと言うのに、この太陽は阿呆なのか、未だ強い日差しを向ける。秋、などとは言っても目には莢かに見えねども。
「お前は?また朝からこの調子か」
 火蓮はその澄んだ眼で、にっこりと笑う。屈託の無い笑顔、自分には到底出来まい。するとまた手拭を置き庭に向って走り出す。飽きる事無く、この男は体を動かし続ける。飽きる事無く、何時も、何時も――
「良くまあ飽きないもんだ」言葉が漏れる。別に意識した訳ではなく、取分け聞きたかった訳ではない。ただ、不意。火蓮は『蓮牙』の型を演じながら笑い、応じる。
 舵火流島。火蓮の故郷である。天宮と影舞乱夢の狭間に位置する『蓮牙』の者達が住む孤島。火蓮は其処から独りやって来た。
 だが実際それは伝説めいたもので、本当にそんな島が、そんな流派が存在するのか確かに知っているものはいなかった。不確かな物を指す『舵火流の灯火』なんて言葉もあるくらいで、だから傍から見れば火蓮の話に、むしろ火蓮という少年自体に、信憑性なんてものは微塵にも感じられないのだろうと思う。事実城の中には火蓮の事を『嘘つき少年』よばわりする輩もいたが、誰も、特に烈士隊の皆はそんな事は如何だって良かった。火蓮は火蓮であるし、それ以上でも以下でも何でもなかったのだから。
「もっともっと強くならなきゃ」
「十分強いさ」
「まだまだ。皆を守ってやれる位、強くなりたい。そしたらずっと笑ってられるでしょ?」
「余計な御世話だ。ったく、明烈や大凰帝様見たいな事言いやがって」
 十七、といえば自分は何をしていたろう。いや、他人の事は言えないのかも知れない、自分も同じような事を口走っていた気がする。兎に角、この少年は優しい、優し過ぎる。其れが強さであり、弱さでもある。この家に集った奴らは皆そうだが、他人の為なら平気で死ねるような馬鹿ばかり、彼もまた、その一人。
「あ、まただ」
 ふと火蓮の動きが止まる。雌雄もそのささやかな異変に気付いた。この町に似合わない、弦楽器、西欧のピアノとか言う楽器の音がする。空を大きな背景に、連なった音符はほんの僅かに鳴り響いていた。風でも吹けば掻き消される様な、弱い音である。
「まただ。最近正午と夕暮れ頃になると良く聞こえるんだよ。多分あそっから鳴ってるんだろうけど、誰弾いてんのかな?綺麗な音だよね」
そう言って指差す先に在るは魔城・暴終空。町の反対側に位置したそれは、此処からでもはっきりと見える程の存在感を放つ。如何やらピアノの奏者はあそこに居るらしかった。明烈の話に聞いていた薄桃色の女かもしれない、しかしまあ、わざわざ聞こえる様な音で弾く事も無かろうに。柔らかで繊細な旋律が、空に木霊していた。



 昼も過ぎて二時頃。飯を作るのは億劫であったので、火蓮と雌雄は街に出向いての昼食とする事にした。今流行の土壌鍋を食ってはみたが、所詮流行りは流行り、不味くは無いが特筆すべき物ではない様に思える。微妙な表情を残して街中、
「今日は、何日だ」
徐に雌雄が尋ねる。曖昧な記憶を頼りに火蓮が答えると、そうか、と言ったきり雌雄は黙りこくった。
「ねえ。最近雌雄変だよね、少し。って言うか春頃からだよ」
「俺が?」
さも意外そうな顔を向ける。その事自体が変であると、火蓮は思う。
「いや、別に如何って事も無いけど、時々変。何か隠してるみたいな、そんな感じがする。おうおう、俺たち仲間でしょ?」
「・・・・・・」
 別段、隠しているつもり等は無かったが、そうでないとも言えない。この秋という季節、思い出に近づくにつれて自然と何処か忙しなく為っているのかも知れない。もう直ぐ、もう直ぐ――
「火蓮、俺は少し寄ってくとこがあるから、先帰ってろ。・・・・違う、何でもない。あと、飲んで帰りが遅くなるかも知れない」
「・・・・そう。分かった」
 何も、何も隠しちゃいないと、自分に言い聞かす。今から行くのは嘗ての住処。襤褸ついた、今在るかさえ危うい長屋だ。何て事は無い、唯郷愁に浸りたい気分なのだ。――秋は、そういう季節だろう?
「じゃあな。晩飯は適当に食っとけ」
 素っ気無いぶっきら棒な台詞。元々、雌雄とはこういう男だったかも知れない。別れの雌雄の紅の鎧が、火蓮には紅葉の様に見えた。
「・・・・ってもなぁ、夕飯まで何していよう?」

 火蓮がこの破亜民我夢の街を歩き回る事は、殆どといって良いほど無かった。来るたびに道に迷うのは其の所為もあるのだが、不思議な事に何かの遣いや雑用以外の目的で、独り私的に歩く事は無かったと思う。大抵側には百式や空牙がいた。この街に来てもう既に三年程経とうとしている。初めは何もかも新しかったこの街も次第に慣れ、気付けば故郷に思いを馳せる自分がいる。この街の事は嫌いではないが、いや寧ろ大好きだが、此処では、自分の全てを出せない。複雑すぎる規律や暗黙の構造が自分を縛り、島には在った筈の笑顔を出し切れていないのもまた、事実。帰りたい訳ではないが、少しだけ辛いのだ。
(この歳で、まだ一人立ち出来てないんだなぁ)
そう、未だ妙な心地なのだ。仲間と、友と一緒に過ごす楽しい筈の日々、物に困る事も無い。満ち足りている筈なのに、心の何処かに隙間が空いている気がする。其れが何故かは分からない。
――いっそ、一人になった方が楽なのかもしれない
 店先に並んだ我楽多を弄びながら、柄にも無くそう思った。秋は、余り好きでは無いのだ。
「お兄さん、置いとくだけで疲労回復!!西欧から特注の『みのふすの玉』だよ!買わないかい?」
「え、ウソ!?これ置いとくだけで疲れとれんの!?スッゲ!」
「西欧の神秘さぁ、欧州の騎士御用達よ!今ならこの値段を・・・・おまけだ、之で良いよ!」
「買った!!」
 
とまあ一瞬にして懐に忍んでいた巾着の中身が吹っ飛んだワケだが、火蓮は満足であった。置いておくだけ、とは正に夢の一品。先の心地は何処へやら、変わって満面の笑みを浮かべ、火蓮は歩いている。手に持ったのは、灰に黒ずんだあからさまに妖しげな玉。
「いやあ、良い買い物したなぁ!空牙もきっとビックリするだろな!!」
 毎度何かを買うたび、烈士隊の皆からは疎まれ馬鹿にされるのだが、空牙は別であった。(空牙も同じような思いをしているからかも知れないが)空牙だけは自分の品を素直に評価し、羨み、褒めてくれる。皆の様に一見して紛い物に決め付けたりはしない。馬が合うとは、こういう事なんだろう。
 と、
「おい貴様、そう、貴様だよ小僧。一体何処見て歩いてる?」
急に背後から呼び止められる。大抵こういう類の台詞を吐く輩は自分の力量を省みない暴漢と相場が決まっているのだが、火蓮が振り返った先に居たのは、座ったまま此方を見上げている全身『金色』の男である。金、とは言っても少し暗く燻った色で、所々に銅色が混じった微妙な色合いではあったが、派手には違いない。一瞬百式と空牙を思い浮かべた。
「俺?いや、別に、ぶつかった覚えとかは無いけど」
「私は何処見て歩いてる・・・・・・・・と聞いたんだ。貴様阿呆か?・・・・誰だって何かを邪魔されれば腹が立つ。貴様もそうだろう?私はそうだ、自分の仕事を邪魔されるのは非常に腹が立つ。貴様みたいに頭ん中空みたいな面した野郎に、この私の御業を虚仮にされると、特にな」
 この大通りのど真ん中で、男は地に座りながら憎しみを込めて告げる。今、彼が自分の何に怒っているのかが分かった。男の手に握られた木の枝、在り得ない事だが、この破亜民我夢の大通りのこの道一面、土に書かれた数式の山が蠢いている。自分が無学なだけかも知れないが、一切を埋め尽くす数字を色取る見慣れぬ記号が、多々ある。自分はこの数式を、彼が書いたであろう難解な絵画を堂々と踏み躙っていたのだ。見れば周囲を囲む人、人、人。どうやら皆、此処を通らず滞っているのであった。
 この状況に感じる、男の微かな狂気。
「な・・・・っ!?」
「だから『人間』は嫌なんだ、無知で、その癖のうのうとのさばって生きているとは、全く論外阿呆芝居も良い所だ」
じりじりと、男が歩み寄る。眼をヒクつかせながら手を開き、閉じ。火蓮は思わず身構える。
「出来損ないのクズ野郎に何故私の『設計』を邪魔する権利がある?わざわざ建設予定の場所にまで、この!津具不天が出向いたというのに。……私の『天使の輪エンゼル・ハイロゥ』の完成を妨げる気ならば、例え誰であろうと何であろうと極刑に値する!」
「……おい!勝手に何だよ!!」
理不尽極まりない。此方の言い分もお構いなしに、男は一人で話を終え結論を出す。たまったもんじゃあない、ただ歩いていただけだ。
そして男が、指を鳴らす。
 その音とともに現れる一つの唐傘。男はそれを手に取ると、切っ先を火蓮の方に向けた。
「止むを得ぬな。潔く、」
傘の切っ先が光りだす。熱がこもり、輝きを集約させ、そして一気にその光線が放出される。
「散れ」
「んな……!!」
間一髪で交わした光の一撃が、疾風の如く、火蓮の身をかすめ後方へ流れた。脇腹が痛い、焼き切れている。あの光線は、あの熱線は、背後の家に直撃し轟音爆炎を巻き起こしている。
――光粒子ビーム兵器。上級武者のみが持つ事を許される、天界の遺産。
「フハ、ハハハハハハァ!驚いたろう小僧。最早光粒子は天界だけの特権では無いのだよ。この魔界の発明王・津具不天様は成し遂げたのだよ、偉業を、奇跡を!!」
(魔界?じゃ、コイツ……)
巷で話題の幻路五上廠とやらの一味か?ならば敵だと、火蓮は心内で呟いた。
 周囲に目を配る。集まっていた野次馬は、恐れをなしたか早々に立ち去っている様である。暫くしたら仲間が、城の連中でも駆けつけてくるだろう。ならそれまでは、自由に。
「華龍!!!」
 火蓮の叫びに呼応するように、その身が輝き、全身に龍の彫刻が浮かび上がる。本気の本気を出す為に、血が沸き肉が踊る。
「?何の真似だ、『潔く』と言ったろう?聞き分けの無い小僧だ、大人しく私の視界から消え失……」
男の顔に、火蓮の拳がめり込んだ。勢い男は大きく屈曲し、地面へと叩きつけられる。
「台詞の途中悪いが、アンタ鈍いぜ?もうちょい集中した方が良いんじゃないの、魔界の発明王さん」
見下ろす形となって火蓮が吐き棄てる。先手必勝、隙あらば其処を突かねでどうする。金色の男の顔は赤みを増し、況してや似つかわしくない鼻血まで流していた。信じられないとでも言いたそうな眼で男、津具不天は此方を見上げる。
「な……?!ひ、卑怯にも程があるだろうが!!私はまだ何も……」
「確かにアンタには恨みは無いよ。この一発は、迷惑してた皆とアンタが壊した家の分だ。……とっとと仲間のとこにでも帰りな、『発明王』」
「この……!!」
尻餅ついて、津具不天は思い切り唇を噛み締めた。その怒りは並々ならず伝わっては来るがこの状況、圧倒的不利なこの状況では如何とも出来まい。ただ見上げるだけ。火蓮には、この男よりも早く拳を振るう自信が十分にあった。先に馬鹿にされたのもあって『あっかんベー』してやったら、津具不天の顔は益々紅潮していった。握る拳は震えを増し硬くなる。
「…………殺す殺す殺す!」
「やってみな、できるもんなら」
まるで餓鬼、火蓮は思った。いわゆる武器がなければ何も出来ない様な人種であると、この男の事を見なす。手にはしているものの最早何ともならない光粒子兵器の唐傘、ドンだけ優れた武器であろうと使い手がこれでは、
(可哀想だよね)
一寸だけ空を見て溜息を吐いた。
と、
直接耳を通して聞こえる、澄んだ旋律。何かこう心の奥深くから沸き立ってく様な、懐かしく、温かい音。最近耳にしたあのピアノの音に似ている。
(何だ?)
 何か違和感がする。この音に、この空気に、この身に。少しだけ息苦しくて、頭がクラクラとして、


思い切り貫いて手が一本、自分の胸から突き出ている。


「…………?」
 感知する間もなかった、気付いたら終了していた。その『手』が抜かれるとこの胸に、心臓すらなくて、大きな空洞が開いている事が分かった。文字通り、胸に穴が空いている。息が出来ない、血も流れない。あれ?

「少し騒ぎすぎだ、津具不天。煬爛帝様がご立腹でいらっしゃる……」

 膝が折れ、火蓮の身が地に崩れ落ちた。もう眼に光は無い。息もしていない、鼓動も打ってない。
「邪魔立てするな猛将!この小僧は私のプライドを踏み躙ったのだ、貴様が『奏でる』までもなく、私の手で始末するつもりだったのだぞ!
……第一『設計』してこいと使わせたのは煬爛帝本人だろ、何故物を頼まれた私が非難されねばならぬ?駕屡羅の勝手は許して私のは駄目か?如何いうことだ、答えろ猛将!!」
 薄らと火蓮の眼に映る、山羊の様な面の、全身を黒で包んだ男。この男が先の手の持ち主なのだと、指先から滴り落ちている紅から分かった。
「お前は加減を知らなさ過ぎる。何だこの騒ぎは?煬爛帝様は『静かに』と確かに仰った筈だ」
「煬爛帝煬爛帝と貴様は一生女の尻でも追っかけていれば良いのだ、この山羊面めが!」
「口を慎め!お前も『奏でて』欲しいのか?!……もういい、早く帰るぞ!!」
 自分の身が徐々に硬く、冷たくなっていっているのを火蓮は感じていた。血の流れが減速し、同時に、霊気も弱まっている事を。
(こんな終わりになるとはなぁ)
金色と山羊面の男は、尚も喧騒を続けつつ、ゆっくりと此処を去っていく。火蓮は次第に意識を沈めていった。後には何もなくて、地には理解不能な数式が刻まれている。
(華龍、後は…………)
 風が吹いた。秋の風は冷たい。舞った砂が眼に口に入ったが、体は何も反応はしない。一人ぼっちの中で、火蓮は眠りに就く事にした。



「ただいまぁ〜♪お、皆帰ってたのか?あ〜、百式はいねえんだったな」
 帰りに一杯引っ掛け、ほろ酔い気分で上機嫌の雌雄が家路に着く頃には、留守にしていた烈士隊の面々も戻っていた。もう夕飯は済ませたのだろうか、茶の間にある大きな飯台には何も置いては居ない。庭からは秋らしく蟋蟀の羽音が聞こえる。
「もう飯済ませたのか?・・・・何だよ皆して辛気臭い面して」
異変に気付いたのは、その辺りからであったか。唯でさえ薄暗い部屋の明かりに照らされ、明烈が正座のまま動かずに此方を見ていた。部屋の隅に居た磁武も同じ様に、そして、庭側に備えた縁側では、空牙が俯いている。その顔の火傷を隠す為に付けた仮面を珍しく外し、空牙は何も言わず外の闇に溶け込んでいた。
「雌雄」
 明烈が名を呼んだので、気付いた。自分の真ん前に、恐らく先から在ったのだろう、仰向けに寝る火蓮の姿があった。嘘だなどと言う暇も無い。其の姿は昼過ぎの別れ際に見たものとは程遠く、胸に大きく空洞をこさえていた酷い在り様。心臓を初め各臓器の姿は無かった。
「火蓮が死んだ」
「……何故」
死ぬ理由なんて、之ッぽちも見つかるものか。火蓮の強さは知っているし、その人当たりの良さも、その清い心も、皆知っている。だから、何故と、その言葉しか出てこない。
「魔界の奴らと一騒動あったらしい。運んで来てくれた者がそう言っていた」
「………へえ」
「行くな雌雄、皆……皆、辛いのだ、分かれ」
 ガタガタと震える。死への怒り、そして何より、あの時別れた自分が憎らしい。若しかしたら、死なずに――。
「俺は――」
「それ以上は言うな」
奥の方から、空牙が言った。過去の火傷で爛れた顔を、普段は何があっても見せないその醜姿を涙で濡らし、此方に近づいてきた。
「誰も悪くねえ、お前は悪くねえ。仕方なかったなンて言わねえが、如何にでもなるもンでもねえ。唯悲しンで、唯祈ってやるぐらいしか俺たちにはできねえ」
眼の前に例の大斧とともに、空牙が座る。
「この斧にな、アイツは生きてる。アイツの龍が、宿ったのが見えたンだよ。信じる信じねえは如何だって良い、でも俺は確かに見た」
その斧に取り付けられている龍の装飾、それを空牙は撫でる。確かな眼で、悔しさを噛み締めて、未来を見据えて。
「雌雄、覚悟は出来ていた筈だろう?俺達は家無し、大将軍サマの御刀、死んだって誰も悲しまねえ」
「だがこうやって、現に泣いている」
「だからよ、それでいいじゃねえか。俺たちは家族だ、何があっても、地獄天国何処へ行ってもよ」
「……」
「無理かも知れねえが、笑ってやろうぜ、アイツの為にも。百式だってきっとそうすらぁ。『え、ホントですか?』とか言ってな。……アイツにゃ、火蓮にゃ涙は似合わねえよ」
 そう言うと空牙は斧を置き、歪んだ顔で精一杯の笑顔を披露した。あげられたハハハの笑い声は震え、つつと涙が零れ出した。
 皆、同じだった。そう思ったから、真似をした。泣きながら泣きながら目一杯涙を流して笑ってやった。
 庭では、蟋蟀が鳴いていた。


 葬儀は次の日に行われた。百式不在のままではあったが、止むを得ず、密やかに烈士隊と大将軍他数名だけで行われた。式は本当に形だけの質素なもので、ご馳走もなければ酒もなかった。
火蓮の骨は故郷には戻らなかった。帰しては遣りたかったが矢張り誰も島の所在地を確かに知っているものはいなかったのだ。帰るところが無い、生きている内は思わなかったが、必要以上に、自分たち烈士隊は似ているのかも知れない。
「雌雄」
背後から声がし、振り返ると明烈。手に何やら紙を持っている。
「昨日は慌しかった為に言わないでおいたが、お前に手紙だ。火蓮を運んで来てくれた者が去り際に、お前に渡して欲しいと」
差し出された、幾重にか折りたたまれた紙を手に取ると、雌雄は早速開いてみた。
「…………」
「知り合いか?」
「大親友さ」手紙を見るなり、雌雄は紙をくしゃくしゃと丸め握りつぶした。
「近い内、俺も留守にする」
 時間の過ぎるのは早いと言うが、此処までとは思わなかった。一方でじりじりと火で焙られるが如く、今この心は――。
「余り一人で背負い込むな、雌雄よ」
「別に……」
こういう時ほど仲間の優しさが痛い。自分など独りで死ねばいいと思う反面、こいつらと何時までも笑っていようとも思う。
 人生は、非情だ。


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