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 それは塵である。それは屑である。
誰かが出来心で創り、飽き、そして捨てた廃棄物。その色を禍々しく紫黒に暗がらせ、鈍く眩い光を放つ。人の夢を喰い、それは生きる。
――暗黒結晶
ある山中で、それは蠢いた。
「・・・・?」
男は落ちている“其れ”を見て目を狭めた。得体の知れない“其れ”は低く煌めく。
(汝、何を望むか)
 頭の中で何者かが呟く。何処からか聞こえる声はそう告げた。
 何を?
 男は僧であった。しがない寺を細々と取り仕切る僧であった。何も欲することなく、禁欲を胸に日々を歩む僧だった。
 唯、その前に彼は男であった故に、何処かで強さを、求めていた。
・・・ならば、
男が頭の中にさる武人の姿を思い浮かべる。実際に見えた事はなかったが、彼が心の中で最強、そう決めていた武人。

男は喰われた。
結晶は男を喰った。
・・・・るうううぉぉぉぉぉぅぅう
・・・・るうううぉぉぉぉぉぅぅう
深く深く、夜は続く。




 天気良好、文句無しの快晴。天宮第二の大都市・金刃雷都を抜けた平坦な小道に、旅人が三人。陽気麗らかに頬を緩め笑みを浮かべる、銀狼の彫刻が目を引く武者一人。その横に添うように歩く、明るい面持ちの少し野暮ったい男。取り留めの無い、それこそ先喰った飯が美味かった不味かっただのの話に華を咲かせる。その二人の後ろにまた一人武者、とは言っても風体からして未だ少年であろうか.
 重量を感じさせる歩き方、いや何よりその『眼』が、彼が鉄機武者である事を物語っていた。
「ちょ・・・待って下さいよ、旦那様」
 心底情けない表情を顔一杯に晒しながら少年は嘆いた。何かの当て付けなのか、前にいる二人は自分の事を無視しているが如く早足を進めている。どんどん自分との距離は広まっていくのだ、止むを得ず少年は小走りに二人に近付いた。
「旦那様、何でこんな・・・ってもう〜!」
 近付くや否や、初めから謀っていたのか、二人の足が一層速まる。早足、と言うよりかは、最早走っている。砂を蹴り上げながら二人は少年から精一杯離れていった。溜息を力なく漏らすと、少年は覚悟を決め、また、走り出す。
「ああ〜もう〜、如何してそういう酷い事するんですかぁ〜・・・」
情けなくなってくる。何が楽しくてこんな事をするのだろう、こんな人間が自分の主人なのかと思うと、心底泣けてくる。
「遅いぞ鉄機丸、さっきから何ちんたらと歩いてんだ」
 主人が放った言葉が重く少年の胸を叩きつける。何かこう、内側から湧き上がる煮え湯のような物を久々に感じた。
(ああそうですか、なら、速く走ってやりますよ!)
今にも泣かんばかりに顔を変形させ歪ませて、少年は一瞬立ち止まり、また次の刹那に恐ろしい程の加速と共に走り出した。
「おお、怒った怒った」
愉快なのか如何なのか、淡々と銀狼細工の男が振り向き告げる。此方に向かい猛進する少年の眼は、最早何も見えてはいなかった。白目を向いたまま背に備えていたはずの槍をしっかりと構え走る、走る。その蹴り一つ一つが大きく土を削り、粉塵を作り上げていく。
「なあ月流・・・鉄坊、キレてっぞ、やばいんじゃないのか?」
 野暮ったい方の男が徐々に浮かび繰る不安を口にする。
「あっれ〜・・・?おかしいな。大丈夫だと思うんだけどな」
「『だけどな』、じゃねえぞ!?・・・おいおい鉄坊、冗談冗談!!冗談!!」
 男は全身の血の気を一気に引かせ目を見開き、振り返り様に少年に向かって弁解する。冷たい汗を滲ませて男が叫ぶも、少年は聞く耳持たず、此方に物凄い激しさで突っ込んでくる。
「だあああああ!!お前はいっつもそうだ月流!!俺はまだ死にたくないぞ!!!」
「龍ちゃん、早く逃げないと」
 最早半泣き目になっている男が振り向くと、遥か先まで走り続けていた銀狼の男がそう告げる。『変人』の戯言に付き合った自分が馬鹿だったと、深い後悔が滲んできた。
月流頑駄無、かの爆流頑駄無超将軍の実孫にあたる稀代の『天才』。
(こんな阿呆だとは、思わなかったんだけどなあ・・・)
あああ、と悲惨な声を漏らし逃げようとしたその刹那に、怒りに身を任せた少年の鉄拳が男の身をかすめ、地に刺さる。その豪撃が土の平面を勢いよく破壊した時、男の眼から涙が溢れた。さぁぁ、っと何かが身体を突き抜けていくのが分かる。
嗚呼、良かった、自分はまだ生きている。
「・・・あ」
 少年の眼に光が戻った。あんなにも荒げていた気迫を急激に押し戻し、少年はいつもの無垢な表情に戻る。自分が一体何をしたのか理解するのに数秒有した後、眼を見開き、少年は男の真ん前まで近付いた。
「りゅ、龍ヶ斎さん!!ご無事ですか?!御怪我は!??あああ僕はまた!!!」
「・・・大丈夫だ。いや別にお前が謝る事はねえ、悪いのは俺達、つーかあいつだ」
張り詰めた糸を緩めた開放感と、心底親愛なる馬鹿野郎に呆れた息を吐き、龍ヶ斎と呼ばれた男は振り返る。自分の不幸を楽しそうに眺める『天才』、龍ヶ斎は頬を引きつらせた。
「すいませんすいません!僕が感情をしっかり制御できてればこんな事には・・・いつもいつも、如何でも良いことにカッとなって、本当に御免なさい!!」
 無邪気に、愛らしい少年独特の顔を向け、少年は謝罪する。今にも泣き出しそうな顔。この世の全ての悪を許してしまいそうになる位、純粋無垢な顔である。
「あ〜、だからいいって別に。悪いのは鉄坊じゃなくて月流の阿呆の方だ。『鉄機心得の試験も兼ねて一つ、鉄機丸を泣かそう』って言ったんだ、アイツ。・・・何が大丈夫だ。
まあ流石に、刺されたら、死んでたね。俺」
「すいませんすいません御免なさい!!!」
少年はひたすらに謝った。自分ができる事をこれ以上知らない。
ただ、ただ、謝る。
 少年の名は鉄機丸。史上初の『完璧な』鉄機武者であった。


「ああ此処だ・・・な。破亜民我夢に着いたら、ここ素材を代えなきゃな」
 がばりと開いた鉄機丸の後ろっ側、頭の中に手を入れ、月流は配線やら細い部品やらを弄くっていた。手馴れた手つきで二三の工具を巧みに遊ばせ、鉄機丸の『不良』を繋いでいった。ただ其れを男、龍ヶ斎が黙ってみている。
「配線が、熱に耐えられなかったみたいだな。いやはや、ビックリした。爺様と同じ暴走する鉄機武者じゃ意味が無いんだ、其れじゃ誰も驚かねえよ」
指を鳴らし、勢いよく鉄機丸の頭部の『蓋』を閉める。乱雑な音と空気を噛む音が共に、鉄機丸から漏れる。
 尻や足に付いた土をほろい、鉄機丸が立ち上がる。何の裏表も無い、綺麗な顔に陽の光を一変に浴びると、その少年は眼を細めた。眩しい、だが陽の光は好きなのであると鉄機丸は再度自分に告げた。

 鳳凰の加護を受けし島国・天宮。隣国に龍の影舞乱夢・獅子の赤流火穏を構えたその神秘の国に一つ、突出して秀いた技術があった。
――鉄機武者、つまりは鋼で創造された人造武者のことである。
人の心を持ちし其の機巧人形は、最早過去に深く埋もれた情報より、時の大天才たちが幾度と無く『修復』を図ろうとしてきた。一般に黒歴史とも言われる暗黒時代に確かに存在した其の技術、それが一体誰の手によるものなのか、或いは天界武人達のものであったかも知れないが、兎に角、未だ嘗て完全な形でそれらが『修復』された事は無い。
 かの駄舞留精太頑駄無を(恐らくは)始めとし、それ以後も『からくり一門』を中心とした研究者達が幾度と無く完全たる鉄機武者を試みるも、生まれるのは自分で考え、行動する以上は出来ない、『心』の無い機巧人形だけであった。鉄機技術の本流は獅子の国・赤流火穏にあるわけではあるが、其処の科学者達は皆、人造武者の創造を『禁忌』とし、誰も眼を向けない。死と再生を司る鳳凰の御国・天宮だからこそ、この技術の研究は続けられてきたのだった。
 時を戻す事四十余年、からくり一門出身の超将軍・爆流頑駄無が二体の感情を持つ鉄機武者の作製に成功する。だが二体に残った課題は『感情の制御』、一定の領域を超える感情の高ぶりを前にすると暴走してしまう、つまり我慢ならぬと言う事である。その後も爆流やからくり一門は改良を試み、錯誤するも、無常にも時は過ぎていった。
――何かが足りない。
其れは、考えても決して辿り着けない処に在る様な気がして為らない、遠い光。皆は其れを理解できる天才の出現を待っていた。
 時が経ち、爆流頑駄無が実孫、月流頑駄無が一年ほど前に『完璧な』鉄機武者、鉄機丸を誕生させるに至る。彼独自の新たな回路構造、古の錬金術を織り交ぜた新種の機械言語、何かも鉄機武者の概念を一新し、月流は感情の制御が出来る鉄機武者を完成させた。

 今、試行をかね、旅先で知り合った龍ヶ斎を含んだ三人、諸国漫遊の旅の最中であった。

「しかし凄いね、俺にはそういう、鉄機だとかは一切分からん。昔赤流火穏の奴に少し話を聞いた事があったが、まるで駄目だった。・・・この鉄機丸ってのは相当凄いモンなんだろ?こんなの、法螺や空想の類だと思ってたのになぁ」
 日に照らされ身を輝かせる鉄機丸を見て、龍ヶ斎が漏らす。何処とも知れない独特の、恐らくは天宮のものだとは思えないのだが、奇妙な訛りを見え隠れさせる。其の傍ら、この何百、いやそれ以上の歴史の上で誰もやってのけなかった偉業を成した男は、煤に軽く汚れた頬を拭いながら、満足げな顔で首を回していた。
「ま、ある日急に分かっちまうもんさ、こういうのは。急にこいつの構造が見えてきて、そのままやっただけ、そんなとこだよ龍ちゃん」
「ハッ、天才の言う事は違うねえ」
時に、いやしょっちゅうだが、月流の事を理解できない事があった。変人と一言済ませば其れで良いのだけれども、明らかにこの男の立ち位置は自分の物と異なっていた。見ているものが違う、本当に、違うのだ。自分や鉄機丸、親しい間柄の者は別であるが、月流には相手を見ない癖がある。その人物を、その『物体』を映像として捉えてはいるが、其の眼は遥か先、遥か深くにある何かを見ていた。だいぶ慣れたが、それでも初対面の者であれば彼に対し、孤独と言いようの無い不安を感じる事は否めなかった。
「鉄機丸、破亜民我夢まではあとどれ位掛かる?」
「あと・・・丸一日と半、位です、旦那様」
「そうか、なら泊まるかどっか」
腰に下げた巾着に手を忍ばせる。月流の手に、僅かな銭の感触が残った。
「今夜は・・・そこらの寺にでも隠れて泊まろう。鉄機丸、これ持ってて」
「了解しました、旦那様!」
またキチンとした場所に寝泊り出来ない事を知り、露骨に嫌な顔を示す龍ヶ斎を置いて、眼一杯嬉しそうに笑い、鉄機丸は前に進みだした。




「以外に小奇麗なとこだな。廃寺になって日が浅いのか?」
 山道を歩いて一同、日も暮れ始めた宵の口、一つのこじんまりとした寺と出会う事となった。見た目に何処も寂れた様子は無かったが、いくら叫んでも山彦と為って虚しく響くだけであった。埒が明かないので勝手に敷地に入り散策すると、どうやら誰も居ない様だったので、月流の一心で此処に今夜は屋根を持つ事にした。流石に陽ももうすぐ音をたて暮れる、新たな宿を探すのは容易くは無く危険で億劫なので、止むを得ぬと言えば止むを得なかった。三人は寺の真ん中、神仏をささやかながらも壮大に飾り称えている本堂に腰を降ろし、夜が過ぎるのを待つ事にした。
「おお、見ろよ鉄機丸。御賽銭入ってっぞまだ」
「旦那様、止めて下さい・・・」
主人の卑しい様を鉄機丸は直視できなかった。何を言ってもやめる筈の無い月流の手を、横から同じ気持ちで龍ヶ斎が止めた。
 賽銭箱にしてもそうだが、妙といえば妙な雰囲気であった。人気はしないが、在る品物は皆新しい。埃一つ無く小まめ手入れしてある事が伺える。狭い造りの奥の方にある洗い場には食材さえあった。
「やっぱり、留守をしているだけなんじゃ・・・」
此処に着いて以来鉄機丸は其の事が気が気でなかった。他人の家にずけずけと入り込んでしまった罪悪感、他多数が心を締め付ける。口から何かを吐き出してしまいたい衝動に駆られながら彼の造られた心は軋んでいた。
――第一、謝る羽目になるのは僕なんだから。
「いいっていいって其の時は。さ、寝ようぜ」
鉄機丸の意など何処吹く風と、いつの間にやら月流と龍ヶ斎は勝手に布団を探し出し、床に敷き始めていた。此処まで我を通す様子を見ると呆れたやらなんとやら、唯、口を開いているしかなかった。罪とか、そういう意識はこの二人には無いのだろうか。正面奥に数体の神仏が、三又の槍を携えながら自分達を見下ろしていた。
 
 夜が更けた。結局この寺の持ち主、住職といえば良いのか、は現れなかった。余計な気苦労だったか、どうか。布団に入り未だ眠る気配の無い賑やかな二人を、鉄機丸は眺めていた。眠る必要は無いので、布団は無かった。
「しかし、良かった。鉄機丸、お前が『人間』に成れて」
 不意に月流がそう呟いたのを鉄機丸は聞き逃さなかった。普段見せないような声色は尚更注意を引く。
「何ですか、急に」
「いや・・・お前は記憶があるか分かんないけどよ、お前は・・・俺が小さい頃からずっと一緒だったからさ。何て言うか、その・・・」
其の様子を、横目で龍ヶ斎はニヤニヤといやらしく眺めた。
「爺様が、父上と母上がいなくなって暫くしてから、お前を造ったんだ。覚えてる、俺は覚えてる」
「僕も、覚えています・・・決して、忘れませんよ・・・」
そう、覚えている。今ほど器用ではなく、感情は不安定で記憶もはっきりと残ってる訳では無いが、この主人が幼い頃から自分は共に生きてきた。月流の両親が他界した日から数日後、今から八年前に自分は出来たのだ。其の才覚ゆえに友を持てなかった彼の為に、彼の祖父が自分を造ったのだ。其の寂しさを、孤独を、月流は形を変えて幾度と無く自分にぶつけて来た。其れは、今もそうなのだが――
「お前はもう人だよ、鉄機武者なんかじゃない。――おめでとう」
「・・・・・・有難うございます」
 随分、本当に久しぶりに主人の感謝の言葉を耳にした。

更に夜も深まり、皆寝入り始めた、其の矢先。
「・・・しっ!」
急に龍ヶ斎が口を噤ませる。耳を凝らせと目で合図し、ゆっくりと身を起こした。

るうううおおおおぅぅぅ――
るうううおおおおぅぅぅ――

獣とも言いがたい異形の鳴き声、泣き声。
「何だ?俺はこ、んな鳥は知らん」
「・・・龍ちゃん、外だ」
呻く様な、蠢く様な其の声。闇の中に潜む何者かの声。月流は無意識に腰に隠した拳銃を確かめた。果たして獣か、化け物か。一同は戸に手を掛け、外を見る。
重く黒の乗っかった闇夜の庭。後ろには墓地が位置しているのかと思うと、少しだけぞっとするが、静寂が其処にはあって、唯津々と夜は漂うのだった。
――ひとつ、異形を外して。
「・・獅・・・龍凰・・・?」
異形も異形。非常に異常な異形の姿。月流も、龍ヶ斎も、其の姿に声を失う。鉄機丸は其の存在の事を知らなかったが、其の姿の発する独特の禍崇じみた雰囲気に恐れを覚えた。
――腐れた、輝神大将軍・獅龍凰が其処にいた。
嘗てこの天宮に光と安息をもたらした大将軍は、紫煙を漂わせ、爛れた眼を震わせ、歪に肉を変容させながら此方を見ていた。
るうううおおおおぅうぅぅ・・・・
るうううおおおおぅぅぅぅ・・・・
最早人のものではない声で、大将軍は『鳴く』。
「何故彼が・・・?いや、違う、之は、こんなのは彼じゃない・・・」
 屍人、と形容するのが適切であろう。腐りきり原型を忘れかけた身は禍々しい輝きだけを見せていた。必要以上に黒く淀んだ空気を纏って、何だと言うのか、其の存在の意味が理解できなかった。輝神大将軍の姿を借りた其の化け物は、一歩足を前に出す。
 その刹那に、月流は手にした拳銃を五六発、躊躇することなく打ち込んだ。彼が造り改良した特注の銃は、容易く大柄の熊さえ仕留める事が出来た。其れを数発。決して耐えられる筈は無い、並みの生き物であれば、だ。
「全く、無反応ですかい?」
弾が皆、化け物の表面で跳ね返る。何ひとつその身を突き破る素振りは見せない。化け物は気にも留めず揚揚と更なる一歩を進めてきた。
るううううぉぉぉぉぅうぅ、反吐の出る声は変わらずに。そして次第に獅龍凰の両腕が『解け』、触手のように分裂を見せた。
 感知、出来たかどうか。気付いた時にはそれらの触手が月流の腕に絡み付いていた。眼を引ん剥き、一瞬で巨大な死の恐怖に押しつぶされそうになる。
「月流!!!!!!」
後方で龍ヶ斎は叫ぶも、自分が必要以上に無力である事を知る。刀も何も此処には無い。在った所でどうなるか、あの異形の大将軍に対し自分は何が出来るか。自分の修めた術法を使用した所で、あの化け物はどんな顔をするのだろう?腐れきった目玉を更に虚ろにして、何食わぬ顔のまま嘲笑うに違いあるまい。試した訳ではないが、過剰に澄んだ感覚がその事実を伝える。無意識に唇を噛む事ぐらいしか出来なかった。だから、振り返って、
「鉄機丸!何とか、何とかしないと・・・!!」
 自分の悲痛な叫びを思わず他人にぶつけてしまう。
 気持ちは鉄機丸も一緒だった。自分の無力を痛いほど理解した。在るのは主人の使用した銃よりも遥かに劣る自分の装備、一体何が出来よう?考えた、考えた、この一瞬の刹那に様々な思考が高速で過ぎるも、『無理』という結論だけが導き出される。また暴走してしまいそうになる不安定な心地で、訳も分からず鉄機丸は周囲を見渡した。
 一つ、眼に留まった。先まで自分達が寝ていた堂の奥中心に聳え立った神仏像、其の手に握られた三又の槍。飾りか何かであると思っていたが、其の刃は紛れも無く本物である。この闇に溶けながらも薄らと奇妙な光を放っているように、鉄機丸は見えた。
気のせいなのかも知れない、だが僅かな希望を覚え、無我夢中で其の槍を求め、走り出した。
 外した槍は恐ろしいほどに手に馴染んだ。宛も自分のために用意されていたように、自分のことを待っていた様に。思わず魅入ってしまいそうになる不思議な色を放つ三又の先端、其の槍を手に、鉄機丸は月流目掛け全力で加速する。
「旦那様ぁぁぁ!!!!」
月流の手に絡みついた黒い触手に向かい槍を突き刺す。之で駄目なら、終いだ。元より何の根拠も無かったが、微かな希望に掛け、唯――

 眼に痛い程の光が一瞬走り、爆音、破裂音とともに触手は『弾けた』。槍が通用したのか、いや、そうではない。
(内側から、エネルギーを暴走させた・・・?)
人の何倍も優れた感覚を持って、鉄機丸はそう理解した。この槍が化け物の内なる力を必要以上に膨らませ、結果内部から破裂させたのだと。
 化け物は唸った。ズタズタになった触手がパラパラと月流の手から離れる。
(之なら、いける!!)
優しい目を鋭く、三又の槍を構えなおし鉄機丸は化け物目掛け跳んで行く。うろたえる化け物を他所に、其の槍に有りっ丈の闘争心を込め、幾度と無く貫く。
「うごうオウゴウオウゥゥッォォォぉおおオオ!!!!!!」
嗚咽にも似た声を上げ、其の身を内から無残に膨れ破裂させる獅龍凰。やがて『其れ』は空気を抜いた風船の様にしぼみ、膨大な量の紫煙を噴出した。其の後に、一人男が残る。
恐らくは此処の僧であろうか、そんな身形だった。ただ、異様に肉体の各所が変形しており、最早人間とは言えないものであった。
 ペタンと、力なく鉄機丸は膝をついた。終わった、のか?何やら物凄く疲れた。肉体の疲労など感じた事も無いが、この気疲れという奴だけは別であった。訳も分からず動いただけに、どっと、疲労が押し寄せる。
暫くして思い出したかのように後ろを振り返る。
「旦那様・・・終わりました・・・」
見ると、龍ヶ斎に添われ、月流が片腕を抑え苦悶の表情を浮かべている。触手の所為か、それとも先の暴発に軽く巻き込まれたのか、だとしたら自分の所為だ、謝らねばならない。
「如何しました!?もしかして僕の所為で!」
「いや違う・・・あの化け物だ」
ゆっくりと、月流は押さえてた手を離し、其の傷を明らかにする。
「・・・・・・!!!」
 月流の手に何かが黒く蠢く。宛ら寄生しているかのようにこびり付き、蝕んでいるかに見えた。咄嗟に鉄機丸は槍で突こうかと考えたが、主人の手を破壊する恐れがあることに気付いた。
「大丈夫か、月流?」
「少しやばいな・・・こいつ、俺の手を食ってやがる。変形し掛けてるのが分かる。大方、あそこにいるこの寺の持ち主もこうして食われたんだろうよ」
向こうに倒れている僧を指差す。
「恐らく、人を喰らい其の人間が思い描いた姿にでも肉体を変形させるんだろうな。
――さて、だったら時間が無いな。鉄機丸、俺と龍ちゃんを掴んで走れるか?」
 黙って頷く。
「よし、なら今すぐ破亜民我夢に急げ。今すぐだ。其処に之を治せる知り合いがいる。
――ああ、確か今日は影舞乱夢の大帝即位報告の宴があったな。更に好都合だ」
「大帝即位の報告!?」
横で急に龍ヶ斎が声を上げた。
「?ああ、光龍大帝が即位したんだ。其の報告、毎代恒例だろ。どうか、した?」
「・・・いや、別に」
「兎に角、鉄機丸、急げ。早くしないと俺も化け物になる」
「分かりました・・・!」
槍を背に掛け、むんずと二者を両手に掴み、鉄機丸は走る。
 目指すは破亜民我夢、天宮最大の都市。



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