白珠の巫女------STAGE3 露見

 夏祭りのほとぼりもすっかり収まった九月の頭。晩夏の空は次第に寂しくなり行く季節を映えさせながら、何時もと変わりない破亜民我夢の町を照らす。何も、何も変わらず、何時ものように町の人々は過ぎ行く時に身を委ねながら日々を過ごす。夏はもう終わったのか、そろそろ収穫の時期だな、などと話を交わしては笑い、未来に眼を向ける。そう、何も変わらないし、変わってはいけないのだ。平穏は、平穏であるからこその平穏なのだから。
こうした何気ない日常の中に、破亜民我夢は南端、烈帝城に相対峙するように聳え立つ、“逆さ”の魔城もまた、何食わぬ顔で顕在するのだ。その古の魔城の中で今日もまた、芸術家達は晩餐を開いている。
――暴終空城
 城の名は、そう聞いた。


三日前

 何の前触れも何の音沙汰も無しに、女は其処に立っていた。烈帝城は大将軍・大凰帝が構える、天守閣。其処に何一つ詫びることなく、土足で畳を踏み躙りながら女は立っていた。
「どうも〜☆」
 全身を薄桃色の鎧で包み、綺麗に手入れされた付け爪を弄くりながら女は愛嬌よく笑った。その“一つ目”から『闇の者』である事が窺える。だがしかし、並大抵の者ではない事は明らかだった。
「立派なおヒゲね、大将軍サマ」
女は笑いながら、大凰帝の兜髯に触れようとしたが、無言のまま大凰帝は其れを払った。キョトンとした顔で女が見つめる。大凰帝は深く睨み返した。
「誰だ」
一つ問う。
「・・・・あら御免なさい、自己紹介が遅れたわ。私は煬爛帝、魔界芸術集団『幻路五上廠』の総指揮者マエストロ、突き詰めたるは『麗彩美ヴィジュアル』」
「幻路・・・五上廠・・・・・何処かで聞いた名だな。して、その芸術家が余に一体何の用か」
 聞いた名も聞いた名、思い出せば吐き気すらする。
「そんな怖い顔しないで・・・・今日はね、お知らせがあって来たの。何だと思う、何だと思う?!ウフフぅ、ビッグでハッピーなお知らせよん」
爪に飾られた指を鳴らして一瞬、
 一瞬だが煬爛帝の爛漫な笑顔に、邪悪を見た。
次の刹那に、音も無し、何事も無かったかのように“異常”が確かに出現する。大凰帝を含め其処に介した皆一同が息を、呑む。

 あれは――

 あれは――

天守閣に開かれた格子越しに見える巨大な建築物。この城をそのまま逆さにでもしたかと思わせる奇妙な形状、“片へ鯱”の屋根。崩れてしまうほど脆く、決して揺るがないほど堅固な古城、皆が其れを知り、慄いた。古来より伝えられしその城は、三三三年に一度出現し、『光の者』と『闇の者』の覇権の行方を下し、去っていく、伝説の魔城・暴終空。
 だが、だが、
「暴終空城!?未だ、三三三年経っていない筈では!」
家臣の一人が叫ぶ。魔城の姿に、大凰帝は眉を顰めた。
 異変が、目の前、こんな近くまで迫っている。
大凰帝の心中に漂う不安の二文字。
「聞きたい事は山ほど在る、が、洗いざらい話して貰おう。
――一体如何いった嗜好のつもりだ」
「貴方、随分偉そうに話すわね。私が女だから?ちょ、其れって差別よ差別!・・・あら御免なさい。いいわ話したげる、その為に来たんだわ。
よーく聞いて噛み締めて。大事な事だから。
 貴方達、四〇年前の覇道国の騒動の事、覚えてるかしら?そう、異世界からの招かれざる客の来訪があったでしょう。あの時は何てこと無しに、皆のご帰宅で万々歳で済んじゃったけど、実は事態は結構深刻だったのよね。貴方達『光の者』が一方的に『闇』に勝ちを重ねた結果の秩序の偏り、傾き、其れはそのまま放置されちゃったのよ。頭を抱えた貴方達の大好きな『天界』は、なが〜い事私達『魔界』と話し合った結果、最終的に貴方達の自主を尊重する事にしたの。貴方達の手で、何とかしようってね。
・・・それでは何も変わらないって?
――天界は、私達『幻路五上廠』に一つ依頼をしたの。魔城『暴終空』の使用の許可と共に、ね。その依頼の所為で、今日こうしてわざわざ出向いたんだけど」
 揚揚たる笑顔が、一瞬、冷えた刃先に変容し、大凰帝に突き刺さる。
「今から数えて三十三日後の河馬の刻、それまでに闇の者にこの天宮の主権を委ねる事を“話し合いで”決議なさい。もし期日までに決まらなかったり貴方達がこのままこの国を統治する、なんて事になったら。私達幻路五上廠が貴方達の『死』を以ってこの国を彩ってあげる――
・・・・・いい?三十三日後よ、忘れないで」
 誰だって、何かを失うのは怖い。遠い祖先から受け継がれてきた泰平という名の平穏、加えて、自分が必死になって築き上げてきた笑顔を崩される事は我慢ならない。誰かが泣き、そこで初めて誰かが笑う事が出来るという事など、とうに知っているつもりではあったが、今まで見てきた彼らの、闇の者達のその幸せが虚構であったと疑わざるを得ないこの状況が憎らしい。
「其れは詰まり、『天界』も容認しているという事か?」
「そう。だ〜い好きな『天界』は、助けてなんかくんないのよん」
「まさか・・・・」
 真実がどう在れ、この事実は易々と受け入れられるものではない。古来、常に光の者を救ってきた『神々』達は、相手の肩を持っている。
こいつは、滑稽だ――
笑うに笑えぬ脈絡の無い波乱な筋書き、だが其れは現実としてこの世界を紡ぎ出しているのだ。信じられないし信じたくも無い、だが大凰帝はゆっくりと飲み込み始めた。
と、側にいた家老が急に
「斬れ・・・・・!斬れぇ!!!!!」
張り上げられた声に気付いた侍は、正に刀を抜き、煬爛帝に掛からんとする。一人の女目掛け城仕えの男達が一斉に、刃を向けたのだった。
「恥を知りなさい」
いかん、斬るな!大凰帝が叫ぶ間も無く、事は急激に済んだ。
――畳一枚よりも離れた其の距離、男達は皆心の臓に“何処からとも無く”現れた冷酷な刃を深く突き刺し、息絶えた。恐怖する間も無く、感じる間さえなく、次の瞬間には事切れ其の鮮血を意気揚々と吹き出しながら、男達は皆、屍と化す。其の死は場の空気を沈黙させるには十分すぎた。誰もが誰も、絶句の一言。「汚しちゃったかしら」と、煬爛帝は呟く。
 其の血噴きの屍と刃を掻い潜りながら顕在する、唯一つの影。居合いに構えた姿勢のまま影は煬爛帝に向かう。鞘から光が覗く。陽の光を照る銀。鉄は擦れ音を放ち、ゆっくりと、かつ素早く抜かれた其の身を空気に曝け出す。殺すにも、近すぎる程に影は、其の男は近づいてきている。今目の前で斬りかからんとする男の顔を、煬爛帝は猫のように真ん丸の目で見つめた。その姿、さながら、月影の如く。
「――――ッ!」
 男、明烈の刃が煬爛帝の肩の寸前で止まる。全身全力を込めた動きの全てを一瞬にして零に。
「面白い男ね・・・・身体に刃が刺さっても私に向かって来るくせに、大将軍サマの事となると駄目なのね」
 大凰帝の喉元間近、また現れた得も知れぬ刃が狙う。其れを見、明烈は脇と腕の傷から血を流しながら、刀を止めていた。
「面白いわあ、ホント、面白いわあ。人間で此処まで私に近付いたのは貴方が初めてよ」
 体の緊張を止めぬまま、明烈は横目で煬爛帝を見る。見開いた其の眼は、決して笑ってはいない。この女を斬ればどうなるのだろう。斬って、紅い飛沫が噴くよりかは、黒い、『恐怖』が出て来るような気がした。それほどの存在感をこの近場で感じる。
「また、来るわ、おヒゲの大将軍サマ、それに、貴方。ええっと・・・」
「某は明烈、機動烈士隊隊長、大将軍様の御刀」
「ああそう、明烈、ね。楽しみにしてるわ、また三十三日後に会える事を」
 煬爛帝が横に手をかざすと、大凰帝を狙っていた刃は消えた。其の隙を見計らいこのまま斬りつけようと明烈は企ててはいたが、体が、動かない。そうしてはならぬと体が告げる。
「それでは皆さん、御機嫌よう☆」
背を向け去り逝く煬爛帝、明烈は大凰帝の名を呼んだが、「追うな」、とだけ呟く。血を噴出し未だ小刻みに跳ねる侍達の姿を見ながら、明烈は剣を収める。
「さて」
 虚空に消えた煬爛帝の面影を見つめて、大凰帝は唇を噛んでいた。
「面白くなってきやがった」



「ただいま。お客様を連れてきました」
 秋の初めの夕つ方、機動烈士隊の屯所は何時もと変わらず暮れる。庭では火蓮が鍛錬を、縁側では磁武が弾けない三味線を弾き、居間では明烈が詠めない歌を捻る。春の騒動が嘘の様に、近頃はまた暇を持て余す日々が続いていた。ただ皆、百式の夕食の支度を待っている。
「あれ、雌雄と空牙は居ないんですか?」
「飲みに出かけているでござる。今日は火曜、何時もの事でござろう?
・・・・其方は?」
玄関から姿を現した百式の後ろにいる、見知らぬ男。百式が客と言ったのはこの男の事だろうか、百式にしては、得体の知れない知り合いであった。
「ああ、この方は南の『闇国』から城に伝令に参った御方です。帰り際に出会い、食事がまだとの事だったので一緒にと思いまして」
柔らかな気品漂う百式の声、それで告げられる後ろの男。成る程、確かに『闇の者』独特の一つ目。身を奇妙な法衣の様な着物で包んでいるが、それ以上に目を引く鳥の手、足、面、後ろからは伸びきった髪を晒している其の男。抜けた声で、
「初めまして、当方は駕屡羅と申します。突然の来訪申し訳ない」
と告げた。愛想のいい男だった。
「食事、作りますね。米も炊けている頃ですし。今日は秋刀魚です」
「いつもすまぬな、百式。・・・秋刀魚ならば、七輪を出そうか?」
「?煮付けにするので必要ありませんよ?」
「いや、秋刀魚といったら・・・・何でもない、宜しく頼む」
そうだった、この男は秋刀魚を焼くものとは認識していないのであった。名門の出、という者は秋刀魚を焼いた事が無いのだろうかと最初は雌雄と一緒にとことん突き詰めたものである。百式が此処に来て初めての秋、秋刀魚を焼く自分と雌雄を見て「庶民はこんな風にして食べられるんですね」と平然と述べたのを思い出した。本来は皆、焼いて食べたいのだが「煙が出る」「臭いが」という理由で百式は焼いてくれはしない。その内誰も言わなくなったものですっかり忘れていた。
「百式殿、私も手伝います」
楽しそうな声で駕屡羅が言い、百式の後を追い台所に向かった。其の際に、明烈に向かい一礼したが、見上げた時の鳥のような冷たい目は、好きにはなれなかった。
(あの男・・・・・)
眼を細め、そのまま少し時が過ぎた。

「腸は・・・如何します?駕屡羅殿は大丈夫ですか?」
「あ〜・・・・苦いのは嫌なので抜いてください」
 にこりと微笑みながら百式は駕屡羅の申し出を聞いた。手際よく生姜を切り刻み、そのままあっという間に秋刀魚を切っていく。其の傍らで駕屡羅は火を炊いていた。
 烈士隊の台所は必要以上に広かった。本来は二・三人で使用すべき所なのかもしれない。居間を抜け少し離れた処に其れはある。
「点きますか、火?」
「点きませんね。じゃあ、これで」
と、駕屡羅がフッと息を吹きかけたかと思うと、くべられていた薪に一斉に火が灯り、燃え盛る。驚いたように百式は覗いていた。
「凄いですね、術印無しで法術を使うとは!」
 術を使用する者の中にも、確かにそういう者はいるが、大抵が大僧正だったり何処かの名門の主だったり、そう数は多くは無かった。基本的に指やら文字やら絵やらの“印”が無ければ、並大抵の者は術を使用できないのだ。
駕屡羅は笑って済ました。
「私は、陰陽師だからね」
 陰陽師、という其の言葉に百式は包丁を止めた。幾千年前にとうに失われた古術、其の強大さ故に誰にも扱われず消え失せた、伝説の術式の名。其の言葉をこの男はさらりと述べた。
「後はお湯を?」
「お願いします」
鍋に水汲み上に乗せ、駕屡羅は一つ溜息を吐いた。
「いやあ、慣れない事をすると疲れる。百式殿は何時もやっているのでしょう?大したものだ、嫌になりませんか?」
「いやあ、好きでやっている事ですから、楽しいくらいです」
屈託の無い微笑だった。嫌なものなど、何も無い。
「僕とは大違いだねえ」
駕屡羅が不意に呟いた。
「?何か?」
「なあ、百式殿。如何して貴方は、此処にいるんだい?」
薄らとした笑みを浮かべ駕屡羅が尋ねる。様子が次第に捻じ曲がる。
「此処も“実家”もそんな変わりないだろ?寧ろあっちの方が住み易い。なのに、如何して其れを棄てて此処に来たんだい」
ぐつぐつと、水が煮立ってきた。切りっ放しの秋刀魚の臭いが生姜と混ざり、妙な風味を漂わす。
「教えてくれよ、どんな気分だい、みんなの気持ちを棄てて逃げて裏切って、浪人続けて何が見えた?君は其れで満足かい?富も権威も名声も、まったくこれっぽちも欲しくないのか『十七代目』?」
 この男の眼、鳥の、眼。駕屡羅はアハハと声を上げて笑った。百式は黙る。触れて欲しくは無い心の奥の奥の襖の其の奥。
「・・・・・此処が心地良いのは本当です、駕屡羅殿。あそこにいたって私は唯飾りにしか為れなかった。家の名だとか、そんな物で得られる幸せなど元より望んではいません」
「へえ・・・・」
駕屡羅は、百式の眼を逸らさずにじっと見つめ続けていた。この鳥眼は心を抉るほどに鋭く、絶えず内側を見ている。何かを探すように、求めるように。
 笑いを止め、眼を益々鋭くした駕屡羅であったが、暫くして、鼻で笑う。
「其れは偽善かい?アハハ」
問う。
「いいえ」
答える。
「だが此処に来て、君は何か変わったかい。寧ろ前にも況して役立たずに為ったんじゃないのかい?毎日毎日そんな事するくらいなら何処かの料理人か家政婦にでもなった方がいいんじゃないかい?」
「そう、かも知れませんね」
百式は視線を秋刀魚のほうに向かわせる。まだ身は紅いが、その内腐ってしまうだろう。早めに調理せねばならない。駕屡羅の後ろからは煮えすぎた湯が溢れ始めていた。
 魚に混じって匂う、狂気。
「しかし、私が思い切って全てを出す事が出来るのも、此処ですから」
「僕みたいな奴にかい?」
「ええ。幻路五上廠・駕屡羅殿」
百式の口から出た言葉に、少しだけ駕屡羅が驚いた素振りを見せる。なんだ、知ってたのか、百式はこくりと頷いた。
「『闇の者』、むしろ人間にそんな冗談みたいな魔力を漂わせる事のできる者は、この世にはいません」
「之でも押さえていたのになあ・・・しかし、君が良く言うよ、百式。・・・いいねえ面白い、面白い。もっと君の事知りたいなあ」
また再び、駕屡羅は其の眼を細めてニィ、と笑う。だが先ほどとは違う、刺すような眼。
「僕が君を気に入ったのは同じ理由、だよ。だけど心のガードは少し甘いみたいだね、丸見えだったよ。それも、興味を引いた理由ではあるけど」
「貴殿方の事を教えて頂きたい。幻路五上廠に関して言える事、全てを」
でなければわざわざ見知らぬ相手に声を掛け、食事に誘ったりはしない。もちろん相手も同じような思惑があったに違いないが――
 気付けば煮えたぎっていた筈の湯はすっかり、冷めていた。下で燃え盛るはずの薪が無い。何時の間にか消えていた。
「何が聞きたい?何だって答えるよ」
「・・・・幻路五上廠とは、何者です?」
「君にしては随分無粋な質問だね。もっと聡明で面白いのを期待してたんだが・・・・まあ良いや、答えてあげよう。
 僕達幻路五上廠は知っての通り魔界の“芸術集団”。大魔王様の名の下にあらゆる舞台を飾りあげる創り手さ。今は総勢五名の芸術家が所属している。
 総指揮者マエストロ・煬爛帝。求めるは『麗彩美ヴィジュアル
 音楽家ミューズィコ・猛将。求めるは『楽曲美メロディ
 技師マッキニスタ・津具不天。求めるは『機巧美ムーヴ
 詩人バルド・殺微。求めるは『言遊美リズム
 そして僕、神理学者アルファヴェリタ・駕屡羅。求めるは『思想美フィロソフィー
 今回の御仕事は、もう聞いているかな?ま、大将軍が如何する気かは知らないけど、僕は好きにさせてもらうよ。天界も公認、なんて滅多に無いからね、せいぜい楽しませてもらおうかな・・・・・ああ、今はあの逆さのお城に住んでいるから、暇な時にでも遊びにおいでよ。
 ところで、僕の番だ。なんで君みたいな“化け物”がこんな所で煮物なんてつくっているんだ?」
「先もお答えしましたが。此処では自分そのままでいられるんです」
「ふぅ〜ん。・・・・なあ、今此処で君を消してもいいかい?」
悪戯っぽくニタニタと、其の鳥眼を歪ませてたっぷりの袖に手を隠した。
何か出すつもりだ。陰陽師の、術。
「式神――」
昔書物から学び取った知識が、また湧き上がる。紙に神霊を宿らす太古の秘術、禁忌『錬金術』を応用した使用者“零”の術式。今日の大家・時攻、時防の二派の元祖、時操流の更に“大元”のその陰陽道、
――原始オリジナルは、別格。
「止〜めた。君、全然怖がらないじゃあないか。それじゃ“真理”は見せてくれないだろ?それじゃつまらない、くだらないの一言だ。
――次に会うときは、もっと絶望してくれよ、百式」
「待って――」
伸ばした手は虚しく空を掴む。瞬く間に駕屡羅は其の姿を消した。
 嫌な、歪んだ笑顔を残して。
「駕屡羅、殿」
恐怖だとか、畏れだとか、そんなものではなくて。唯純粋に吐き気がする。
こんな気分になったのは、久方ぶりだ。




 烈帝城は天守閣、開いた窓に手を掛け、大凰帝は一人酒を飲んでいた。覗いた星空は変わらず美しい。そろそろ涼しくなり、虫の音も聞こえよう。春は夜桜、夏は月蛍、秋は夕には敵わねど虫の音がある。冬は粉雪、できれば降らずにいてくれた方が星は最も美しく輝くが。季節変われど、星だけは変わらない。
「大凰帝」
後ろから聞こえた声、振り返れば其処には祖父がいた。既に現役を退いた先々代の大将軍・武威凰。今は年老い隠居の身である。祖父の登場に酷く崩した姿勢を、大凰帝は急いで正した。
「之は爺様、如何しました?」
「いや、状況は如何か聞きたくてな」
軽く酒で赤らめた頬の孫に、そう問う。孫は面白そうに「最悪です」と答えた。皮肉めいた笑いを浮かべる。
「南の『闇国』の若頭より、あの城の説明を求める手紙が早速来ましたので、魔界のあの女が言った旨を全て漏らすところ無く書きました。我々に天界の御加護が無いこと、『闇の者』の勝利を求めている事、他云々をね」
畏まるのに飽きたか、大凰帝は正して少ししないうちに畳んだ足をまた崩し、胡坐をかいた。手には酒、武威凰は眉を顰める。
「それに――国の各地で『闇の者』達の一部で反幕の争議やら運動やらが起き始めたみたいです。之を機に光の時代に終止符を打つ、まあ、極めて普通の流れでございますな。一応闇国には今まで通り和平と同盟を結び続けると意志を示しておきましたが」
「・・・・・・」
 可哀想に、と武威凰は思った。最早戦火は避けられまい。闇と光の完全調和を目指し、人知れず奮闘してきた孫がぶち当たった、避けられぬ壁。普段虫一つ殺すことの出来ぬこの男にっとては、同胞が血を流す事がどれほど辛い事だろう。歴史は繰り返せざるを得ないのか、泰平の世は、永劫など在り得ないのか――
「如何する、つもりだ」
避けられない壁、恐らく優しい孫は、自らの敗北を望むだろう。この男は決して戦わない、其の実力が自分の父、一族最強と謳われた大将軍・飛駆鳥に匹敵、いやそれ以上の力を秘めた『月光蝶』・大凰帝。だが其の力は、その優しさゆえに絶対に表に出ることは無い。
――戦って得られる恩恵も平穏も、其れは偽りです
幼き日から孫はそう唱えていた。
 それで、誰も傷つかないのであれば――
「私の心は鼻から決まっております。あの馬鹿げた酔狂野郎を、もとい、幻路五上廠とやらに真正面から挑みます」
「――――!」
「あの女は私の眼の前で、私の部下を塵のように殺した。闇の者達には申し訳ないが、あんな奴らの言う事を聞いて国を獲って欲しくはありませんね。この世の秩序だか何だか知らないが、我々の自主に任せる、奴らはそう言ったんだ。天界が協力しない、というのも、親離れのいい機会ではないですか。我々は彼らの息子でも玩具でも傀儡でもない。人間です。天の力を借りずに、魔界の芸術家どもに勝利して、誰も死なせず、大っぴらに、私は天下泰平恒久平和、闇と光の調和を見せつけるつもりです」
 孫の目は、澄んでいた。星のように輝く其の眼、自分の孫なのか如何か、疑ってしまう様くらいに美しすぎる其の眼!
「だが、しかし・・・!」
「爺様、私は絶対に負けない、負けることは無い。昔から戯言みたいに呟いていましたが、私は自分が何時死ぬか分かるのです、はっきりと、ね。あの忌まわしい“鳳凰結晶”が幼き頃より告げるのですよ、今尚。
――私は春の桜盛り、この城の天守閣で胸を撃ち抜かれて死にます。分かるのです、嫌なくらい、はっきり。残念だが、新生大将軍より続くこの血は私の代で途切れるでしょう。私が、嫁をとらぬのは其の為です、とったとしても子は生まれない。私と一緒になった女は一生苦しむ事となる。
運命、なのです、確かにそういう何かが、力があるのです!
 三十三日後、秋の盛り。私の死とは間逆の時期。何も恐れる事は在りません。魔界だろうがなんだろうが、誰も死なせず勝利してみせる。第一、こういった時の為に折角機動烈士隊を創ったんだ、使ってやらねば可哀想で」
大凰帝は、スッと立ち上がるとまた窓の向こうを見やった。
星。
この男は昔から夜空が好きだった。果てしない空、そこに無常を見つけたのか、それとも希望を見たのか、年老いた武威凰には分からなかった。
 横に眼をやれば其処に構える輝かしい大凰帝の鎧。光の“燐粉”を漂わす蝶翼の奇鎧。それに備付けられた、鳳凰結晶。
(貴方は、何を御考えなのですか・・・・?)
 武威凰は呪われし我が孫の運命を嘆いた。
 
月は、蝶を照らす。星星もまた、何も答えない。




-Powered by HTML DWARF-