白珠の巫女------STAGE3 露見

 眠れぬ夜であった。刻はとうに『明日』を迎えた。深く、重い黒が辺りを覆い、ただ陽が昇るのを待っている。静まる空気の中で百式は布団から身を起こした。
 廊下に出る。板を軋ませながら歩を進める。灯をつけぬ夜はやはり暗く、何も把握できない。覚束ない足取りで玄関を目指す。
「便所か?」
 ぼそりと声がした。声の方を見ると、確かに人影があった。空牙である。大きな鉞を傍らに抱え、廊下の一角でうつらとしながら此方を見ていた。
「いいえ、そういう訳ではないんですが、なんだか、目が冴えましてね。茶の所為でしょうか」
 誤魔化した返事だった。
「そうか」
「ええ。空牙こそ、しっかり寝た方が良い」
「オレも寝付けねぇのさ」
 外の方に向かいかけた体を、百式は空牙の方へ向けた。大男の体は日頃の振る舞いからは想像できない程に縮こまっていた。
「明日、ですものね」
「そうだな」
 百式は意図して黙った。そして暫く、頭の中を空にした。
 遠く虫達が鳴く。静か過ぎる夜。
明日の今頃は何をしているのだろう。
「少し、外の風を浴びてきますね」
「あ?……ああ、分かった」
 空牙の返事を聞くと、百式は玄関の戸を開けた。


 秋夜の風は心地よく吹いた。肌を撫ぜ、土を撫ぜ、空へと消えていく。ぼんやりと空を眺めながら百式はそんな事を思った。
 ざり、ざり、と砂を踏む音が必要以上に鳴る。真夜中の所為か、だがそんな事はなく、それはもうこの街が無人だからである。あれだけの人数が一夜に消えたのだ、無理もなく静寂は訪れる。
 静かだ。
 大将軍が手配した場所に、街の者達は一夜を過ごすことを命じられた。慣れぬ場所で、慣れぬ人間と同じ屋根の下で過ごすことは億劫であろうと、百式は思った。
……静かだ。寂しさ通り越して気味が悪い。
 向こうの方に見える暴終空城は黙って此方を見下ろしている。巨大な影は、月明かりを受け一層妖しさを増していた。
あの城こそが、『敵』。
「…………」
 少し落ち着かせるように息を吐く。何故だか久々に腹立たしいものを、百式は感じていた。
 はたと足を止めた。思えば街の真ん中まで来ている。少しどころか、歩き過ぎた。
(……戻ろう)
 そう思い二三歩歩いて、振り返る。変わらずに魔城は聳え立っている。
静寂は、闇は、何処までも続いていた。
「………」
 暫し百式は視線をそのままにした。変わらぬ夜。抜け殻となった家の連なるその大通りに風が吹く。
 その向こうで此方を見つめる瞳。
「……この真夜中の邂逅にしたって、誰かの思惑かも知れないね」
 闇夜にボゥッとピンク色の鳥眼が光る。
 咄嗟に身構えた。
 止まっていた人影の足は、次第にではあるけれど、ジリ、ジリ、と動き出した。ハッキリと映る鳥眼は歪に光り、此方を捉えていた。
 百式はこの人影を知っていた。駕屡羅という名の、忌むべき男。
「……世界はあまりにも不確か、けれど、確かな何かがきっと存在する、そう思う。人はその『何か』を神と呼んだり真理と呼ぶ、そして僕はそれを追い求め続ける」
「………」
「久しぶりだね、百式。君との再会を嬉しく思う。やはり君は、面白い」
 そう告げて駕屡羅はつまらなそうに眼を細めた。グゥゥと歪む鳥の眼。
「良い夜だね」
 此方を向いていた駕屡羅の顔は月の方を向く。月は既に満ちていた。百式はその神経を全て目の前を凝視することに男に注いだ。
「……たまにね、生きている事が億劫になることがあるんだ。全てが無意味に思えてしまってね、下らない話だが。僕はそんな自分が嫌になって、時折無性に腹が立つことがある。正に今がそう、なんだけれどね。しかし君と会えてよかった、このイラつきはもうじき治まりそうだ」
「………」
「僕の事を狂人だと思うかい?何を言っているのか分からないかい?いいさ、そんな事はどうだっていいのさ。それは僕だけ分かっていれば良い事だからね。……大分気分が良くなってきたんだ。ウン、ウン、そうだ。風も心地いいしね。良い夜だ。本当に良い夜だ。日の出までにはたっぷりの時間がある。もう少しこの夜を楽しもうと思うんだ」
 百式の頭の中には、目の前の男を如何殺すかという考えだけが巡っていた。この時ばかりは殺生に対しての躊躇いはなかった。殺さねばならない、とそれだけを思った。
「ところで、君は『紅』は好きかな?良い色だと思わないかい?例えば血の色は『紅』だし、火の色も『紅』だ。だろ?『紅』って色は僕らにとって結構特別な色なワケだ。……話は変わるけれど、僕らの総指揮者マエストロはよくその色を好んで使用してね、何かの作品、例えば絵だとかを描くときは必ず『紅』を入れるんだ」
「………」
「今回もそれは変わらないらしくてね、全く、女の我儘は困ったもんだけれど、聞いてあげないわけにもいかないだろう?」
 自嘲気味に笑うと、駕屡羅は疲れた様に首を鳴らした。そのままその腕を天にかざして、何やら呟くと、指を鳴らした。パチン。

――紅蓮が周囲から湧き上がる

音も無しに、周囲の家々が一気に炎に包まれる。
急に込み上げる熱気が鼻を焦がす。
「さて、これが祝宴の始まりの合図だ。今夜は楽しくいこうじゃないか、『人間』共」
 燃え盛る紅を背にし、見開いた眼で駕屡羅が此方を見つめていた。
「……ッ!?」
「無駄だよ、消そうだなんて思わないことだね。その火は消えない、絶対にね。水をかけようが何しようが、消えない。僕を殺さない限り、消えない。アハハ!!」
 熱い音が響き合っていた。ぺキッと木材は弾け、黒い飛沫となり宙を舞う。見る限り周囲は紅一色で彩られていた。不覚にも心奪われるほどにその景色は圧倒的であった。
 その様子を美しい、と思う心とは別に、百式の心内では何かが激しく蠢いていた。自分が命を賭けて守ると決めた街が、今、一瞬にして灰と化そうとしている。愛すべき者達の帰る場所は、今正に失われようとしている。
「………消してみろよ、『十七代目』百式ぃ。『紅』は激情の色だ。怒れよ。憎めよ」
「私は怒らない。決して貴方を憎みはしない。貴方は、その価値すらない」
「それで良いんだよ、おべっかなんて遣わずに吼えろよ。楽しもう、この夜を」
 何かを吐いてしまいたかった。百式の胸の辺りで何かもどかしいものが喉を詰まらせていた。
 それは、焦り。様々な焦りが湧き上がる。
「ほら、何か唱えろよ。君の得意な術を僕に放てよ。電撃かい?それとも木っ端微塵に弾けさすかい?遠慮せずにやりなよ、その化け物じみた『力』でさ」
 百式の呼吸は荒さを増していった。
「ほら」
「………」
「ほら、早く」
「………」
「早くしなよ。僕を殺してみなよ」
「………」
「早く!!!!」
 駕屡羅が吼えた。けれどその言葉は、不確かにしか百式の鼓膜を震わせなかった。
「分かったよ、その気なら此方からいかせてもらうとするよ」
 捨てるように溜息を吐いた駕屡羅の懐から、一枚の呪符のようなものが取り出された。見下げるような鳥眼のまま、駕屡羅は其れを宙に投げた。
「味わえよ、陰陽術・『式紙』を。そして絶望しろよ、全てにな!」
 宙に舞う一枚の紙札に、火の粉が飛ぶ。札は見る見る内に焦げ、ゆっくりとその身を燃やす。其れが丸々炎に包まれる頃、札は輝きその姿を代え、百式の前に一頭の巨大な『
獅子』となって現れた。
 よく見れば獅子ではなかった。炎上する家々より遥かに大きな体躯、そのたてがみは紅く燃え盛り、歪な牙があらわになっている。そして何より獅子と異なるのは、その背。その広い背の中心からは太い『脊柱』が伸び、『人間』の上半身と繋がっている。いや、それもまた『人間』ではなかった。――三つの顔に六本の腕を持つ『人間』など、いるわけもない。
「さて、全身全霊を持って走り回れよ。僕の『新阿修羅ねおあしゅら』は優しくないんでね」
 次の瞬間に百式の体は遥か後方へと飛んだ。




 うつらうつらとしていた意識戻る頃には、辺りは既に騒がしくなっていた。仮面の下で欠伸を一つ、空牙は重い腰を上げた。
 玄関戸から覗く外は、少し明るんでいた。もう朝かと思うと更に億劫になったが、気を持ち直し空牙はその戸を開けた。
「………!!?」
 騒がしかった。城の兵やら侍やら何やらが、この無人の街を右往左往と動き回っている。そして何より多く、火消しの姿が見える。そうか、騒がしいわけだ。
 轟轟と燃え盛る紅蓮。自分の周囲がその紅一色に染まっているのだと理解したその時、空牙は自分の中から何かが抜けていったのを感じた。
(火だ)
 空牙の眼はひたすらにその火を、炎を、燃え盛る家々を映した。
紅。
紅。
どこもかしこも。
「あ……」
 陽が昇ってもいないというのに空も明るんでいる。昇る白煙。臭気。熱気。
「酷いもんだ」
 いつしか自分の横に磁武が立っていることに気付く。自分の腰に当てた手を小刻みに叩きながら、磁武は続けた。
「不意打ちとはふざけてやがる。元より約束通りに動く奴らとも思ってはいなかったが、これでは中途半端でかえって腹が立つ。……行くぞ、空牙。烈士隊は先陣を切って奴ら幻路五上廠を撃つ」
 木の焼ける臭いが空牙の鼻を衝いた。寒気がした。
「空牙?」
怪訝に思ったか、磁武が顔を覗きこんだ。何か答えようと思ったが言葉に詰まる。ただ息だけが漏れた。
「……お前、大丈夫か?」
「……火」
「あ?」
「火だ」
 それしか見えなかったのだ。聞こえなかったのだ。




 自分の体が相当に痛んでいる事を把握できた辺りから、百式の心内には憎悪という感情がハッキリと浮かんだ。あの鳥面の男が憎い、ただそう思った。
 混乱していた、そのこともしっかりと分かった。魔界の陰陽師の突然の出現に、自分はいたく動揺していたのだ。あらゆる感情が錯綜し、混じり、自ら掻き乱していた。
(大丈夫、今は落ち着いている)
三面六腕の巨大な異形・『新阿修羅』を見つめる。あと五・六歩ばかりのその距離を、下半身に接続した大獅子がゆっくりと歩み寄る。あまり時間もなさそうだ。動かなければ。どうする?自身の壊れた箇所を感じながら、百式は考えを巡らした。
 ただの『式紙』であれば事は簡単だった。そもそも『式紙』なる術は、術者の法力によって紙を神格化する術。この点で紙に霊魂の類を封じる『式神』と異なる。つまりは、術者の『力』を制御の置ける下で具現化するのだ。
古術・『式紙』は強力な術だ。しかし、言ってしまえば所詮は紙。火を付ければ燃え灰となる。自身の『力』を十二分に発揮はできようが、結局はそれだけの術でしかないのだ。だから『式紙』は廃れ、陰陽術とともに歴史に消えた。
だが、目の前の異形は、阿修羅は、見事に炎をまとい『燃えて』いるのだった。
百式は眼を細めた。
(厄介だ)
「厄介だろう?」
 上半身の阿修羅と下半身の獅子、その接続部の脊椎、言わば胴辺りの部分に駕屡羅はいた。鳥面の奥の眼が薄く覗いていた。
「貴方らしい、嫌な化け物ですね」
「そうだろうね」
 駕屡羅が軽く笑ったその刹那、大きく仰け反った『新阿修羅』の腕が振り下ろされ、地面が砕ける。衝撃。またしても吹き飛ぶその最中に、百式は術印をきった。
「“火炎鬼の術”!」
 盛り込まれた火炎が『新阿修羅』を包んだ。そして炎は、本来であれば炎上するはずの異形の阿修羅の内側に『吸収』されていった。
(……本当に厄介だ)
 またどこか壊れた。走る痛みに思わず顔を歪める。目の前には化け物。殺される要素は十分過ぎるほどある。
「如何した、殺してしまうよ?」
 阿修羅の袂に鳥面。駕屡羅は嘲て手を叩いた。そうする間にも『新阿修羅』は次の一撃を見舞う準備を始める。
 逃げねば。
 百式は歯に力を込めた。痛む身体を引きずりながら、走った。
「逃げるのかい?まあいいさ、賢明な選択かもね!」
 法力を用い、術で怪我を癒す。だが所詮は気休めに過ぎない。走る為、それだけの為に肉体を治すのだ。回復したところで現状を打破できる何かが生まれるわけでもない。
(まずい)
 百式は久々に絶望というものを感じつつあった。
「ほらほら、走れよ!」
 背後で爆音。抉れた土が降り掛かり、百式が勢いよく飛ばされた。頭から路面に突っ込む。両脇には燃え盛る家々、紅く。
「クッ……」
「とろいなぁ。残念だよ、百式ぃ」
 気付けば背後にはあの阿修羅。咄嗟に駆け出す。
逃げねばならない。だから、

走れ。

走れ。

走れ。
(まだだ、まだ死ねはしない)
走れ!
 
「………ッ!?」
 
 
 『新阿修羅』の衝撃波をまともに受けた百式の身は、大きく跳ね、再び地に着いた。
何かが弾けた。そう思えた。身体が一瞬軽くなったと思えたその瞬間、内側で何かが弾けたのだ。何か物凄く大事なものが。
息をしようと試みた口元から、勢いよく血が噴き出た。内臓を痛めた?喉下にまとわり付く血のせいで、少しの間呼吸の仕方を忘れてしまった。
(………)
 辛い。全てが辛い。之が絶望というヤツだったと、百式は思った。
「残念だよ」
 見上げるとそこには駕屡羅がいた。鳥面の、眼に痛い布を纏ったその男。
「残念だ」
 駕屡羅は繰り返した。
「もう少し、やってくれると期待していたんだがなぁ。予想外に君はツマラナイよ。僕が何を言っても何もしない。残念だ。君は『ハズレ』だったか」
 溜息を吐く。燃え盛る阿修羅と獅子は、駕屡羅を乗せて佇んでいた。いつでも殺せるという余裕と共に。
「……貴方は、」
 息の仕方を思い出した。しかし血が気持ち悪いことに変わりはなかった。溜まった唾を吐く。
「貴方は…前から私に……一体何を求めているというのです…?」
 横目だけ、駕屡羅は此方に向ける。
「何を?……真理さ」
「…『真理』?」
「そう、『真理』」
 おどけた様子は無かった。いつになく冷たく、淡々と、駕屡羅は続けた。
「『真理』さ、この世の答えとも言うべき、それ。僕は知りたいのさ、『真理』を。絶対無二のその『理』を」
「私は…そんなものを知りませんよ…」
「君自身は知らずとも良いのさ。ただ、その片鱗だけを見せてくれれば良い、僕にね。……世界には秩序がある。キマリがある。この世界に『地上』があり、それを境に『天界』『魔界』がある。物質に永遠というものはなく、いつしか綻び、壊れ、そして『魂』が転生していくといった、ね。こうした完璧な秩序の下、僕達は生きている。そして死ぬ。…ところが、だ。いつも物事が秩序どおりに進むとは限らない。予期せぬ出来事というヤツはいつだって起きる。わかるだろう。一定の秩序に縛られたモノの中に紛れて、ごく稀に特異な存在が出現するものなのさ。僕はそれらを『禁忌バグ』と呼ぶ」
「……『禁忌』?」
「それは進化などにおける体質的、身体的特異ではなくて、精神的な、『魂』における特異。分かるか?分からないだろうね。一目には分かるものじゃないからね。ただ、世界の創造主に『贔屓された魂』とでも言おうか、歪んだ『カルマ』の持ち主とでも言おうか、とにかく特別なものでね。……僕はね、百式、こうした『贔屓された奴ら』は何か知ってると思うんだよ、この世の『真理』ってヤツをさ。そして彼らが何か危機に瀕したり、あるいは死んだとき、何かうっかり洩らすんじゃないかって思うんだよ」
 駕屡羅はそう言うと、笑った。愉快そうに、何が楽しいのか理解はできなかったが、笑った。
「君はさァ、どうやら『ハズレ』だったのかも知れないなぁ。君からは何も『聞こえない』。あの機械人形は当たりだったんだけれどな……まぁいいさ、次は確信があるからね、そっちに期待しよう」
「……『禁忌』とやらは…そこいらにゴロゴロしているんですね……」
「イヤイヤイヤイヤ、滅多にいないよ。この数百年でやっとの収穫さ。だから僕も興奮していてね。……あのお髭の大将軍様はさぞかし面白いものを聞かしてくれるだろうなぁ」
「……髭?」
「大凰帝大将軍さ。君を殺したら、すぐにでも遊びに行くさ」
「………ッ!!」
 ケラケラと駕屡羅は笑った。朧な視界の中で百式は、眼だけはしっかりと、睨んだ。
「さて、時間を掛けたな。そろそろ良いだろう、百式」
 ゆっくりと『新阿修羅』の状態が動く。駕屡羅はまた、愉快らしく笑った。ただ眼だけは、飽きた玩具を棄てる子供の様に冷めたものだった。百式は唇を舐めた。
「『呪術』」
「……あ?」
「『呪術』だ。あの火の正体は『呪い』です」
 黙る駕屡羅を他所に、今度は百式が淡々と続けた。
「気付いたんです。初めに吹き飛ばされた際に、炎上する民家の最中にいながら私は焼けど一つ負わなかった。あれだけの火災だというのに、あれだけ熱かったというのに何もだ。何故?それはあの炎が炎ではないから」
 痛む箇所を擦りながら百式は立ち上がった。駕屡羅を見据える。揺らぐ視界の中で、今、自分が如何すべきなのかが導き出せた。
「『呪い』の対象は『木材』。木材といえど一応は有機物、『呪い』は通用する。破亜民我夢中の家々に『燃えている』とでも思い込ませたのでしょう」
「で、それが分かってどうしたね?」
「『呪術』を行う際に考慮しなければならないのは『呪い』の報復です。何かを呪えば、術者もまた呪われるのは理。優れた術者はなるべく、その報復が小さくなるように努める。だが貴方は逆に何の注意も行わなかった」
「何が言いたい?」
「貴方は自身の力を注ぎ込んだ『式紙』に『呪い』を掛けさせ、その反動を全て受け止めさせた。そうすることで火に弱い『式紙』に、炎に対する耐性を持たせることを貴方は思いついた」
「………」
「『式紙』は、いわば貴方の『力』を具象化したものだ。ある程度制御の自由が利く。そこに炎の『呪い』をぶつけることにより、術同士が互いに混乱をおこし、不完全な融和を招いた。それがあの『新阿修羅』が燃え盛って、『紙』であるにも関わらず火が無効である理由です。城の兵でなくわざわざ家を呪ったのは、貴方の『力』匹敵するくらいの大規模な炎が必要であったから。人間が相手では暗示に掛かりやすい者とそうでない者もおり、中途半端な『呪い』の報復しか受けられませんからね」
「………心底、君は聡明だと思うよ」 
 明らかな殺意のこもった声。駕屡羅の眼は尖っていた。
「しかしだ、君がそれに気付いたことで何か変わるわけでもない、そうだろう?」
「いいえ」
 百式は懐に手を忍ばせた。軽く駕屡羅の面持ちは歪む。
「少しだけ絶望的だとも思いましたがね、どうやらそうでもなかった。結局、貴方の『式紙』は燃えるのだ、それが分かりましたからね。私にも手はある」
「手?」
「慣れない『契約』だとか『封印』だとか、結構苦労しましたからね。良かった。どうやら無駄にはならなかったようだ。……ところで駕屡羅殿、ご自身が今どこにいるかお分かりか?此処は破亜民我夢の街を取り囲む六芒星の、その中心でしてね」
「……まさかッ!!」
「何故先から貴方の『式紙』に術を一発しか放たなかったのか、分かりますか?『召喚』というのは非常に『力』を消費するんですよ。特にこの『式神』はね。大規模な『召喚陣』を併用しても、術を発動した後二日ばかし寝込まないといけないから、あまりやりたくはないんですが」
 駕屡羅が『それ』に気付き、『新阿修羅』を動かそうと思った時にはもう遅かった。自分達の足元を周る更なる六芒星が、その動きを一瞬だけ止めた。
「百式ぃぃぃぃぃぃいいい!!!!」
「『召喚』の『供物』は貴方だ」
 憎悪に歪んだ眼を向けた駕屡羅。しっかりとそれを見、百式は先から手にしていた一枚の『護符』を宙に投げた。紙は流れ、駕屡羅の真上、六芒星の中心に留まる。
「貴方の為のとっておきの『式神』です。その封じた護符をも焼き尽くす為に長い時間は呼べないが、貴方を罰するには十分でしょう。」



「『鬼神、招来』」




「アアああああああああぁぁぁぁ!!!!!!!」
巨大な紅蓮の炎が鬼を形取り、激しくそびえた。烈帝城ほどはあろうかというその鬼は吼え、大地を焦がす。その燃え盛る両腕を振り上げ、『鬼神』は駕屡羅めがけて叩き付けた。全てが噴き上がる。
 紅く、紅く、全てが紅く。
 轟くは駕屡羅の声。しかしそれも、焔と共に燃え、消えていく。
(燃え尽きろ)
 そう言って、熱い臭気を吸い込み、百式の意識揺らいだ。急な眠気が襲う。やはり、『力』を使いすぎた。此処で倒れたら、誰か助けてくれるだろうか。
「………何とか勝てた、か」  周囲の炎は徐々に弱まっていった。やはり呪いであった。跡には、黒ずみ崩れた家々が残る。
(……済まない)
 街を守れなかった。皆の住まうべき場所を残しておけなかった。百式は静かに泣いた。
 いつしか何処からも紅が退き、黒だけが残った。空も、地面も、家も、全てが黒かった。そして眼の前には、嫌な目をした男が、炭と成って立ち尽くしていた。
「……元より貴方には、暗黒しか見えていなかったのでしょうね」
 風に煽られ、駕屡羅の身は散り散りに吹き飛んだ。暗い夜半の月明かりには、その黒ずんだ灰は照らせなかった。

夜は、未だに明けない。



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