NEXT TOP



 烈帝城城下町・破亜民我夢の郊外、某所。
小汚い屋敷の一室。不快なものなど気にも留めず、狭く蒸し暑いその部屋に幾十もの人々が鎮座していた。皆が見るその先一点に、男が一人、熱弁を振るっていた。
「・・・今こそ各々に強く根付く自由を開放する時である!武士が何ぞ、大将軍が何ぞ!西欧を見よ!彼らは相次ぐ革命の末自由を手に入れた。いまや民衆による民衆の政治が行われている。果たしてこの国を、この我々の天宮を、一部の者に任せているだけで良いのであろうか?いや違う!我々の手で幕府に引導を渡す時がきたのだ!さあ立て同胞よ!臆する事なかれ、共に栄光を掴もうぞ!」
男が高らかに、鎖の絡み付いた槍を掲げる。一斉に歓声が湧いた。
「天銘会万歳!」
「機帝様万歳!」
万歳、万歳、万歳と、宵に歓喜の声はこだまと成って消えていった。
男は微笑だにしない。不動の面持ち。
ただその眼を真っ直ぐに見る。
 男の名は、機帝といった。



 歩く度に温かい風が肌に触れる。花の香を突っ切って陽が差す。四方を淡い桃色が覆い、ひらひらと花が舞う。街は引越しやら準備やらで、何時もに況して騒がしい。
烈帝城城下町・ここ破亜民我夢にも春がやって来た。
「そろそろ花見などしたいもので御座るな」
染まった山並みに微笑み、明烈が呟く。
「止めとけ。どうせまた中止になるのがオチだろ」
「毎回限って大雨で御座るからなぁ」
残念そうに明烈は空を見上げた。雲一つ無い晴天。正に花見日和である。そう思って日を決めると、例の如く雨が降るのだ。
雌雄はそんな彼を呆れ顔で見ていた。もっとも、誰の所為だと思ってやがる、とは口が裂けても言えなかった。
「ま、今年はそんな暇無いだろうよ」
忙しいからな、と言葉を切る。
それでも雌雄はゆっくりと歩を進めていった。



 機動烈士隊が久々に大将軍直々の指令を受けたのは、二日前の事である。もっともそれは、日頃やってるような溝掃除や城内清掃、その他云々雑用まがいの指令ではなくきちんとした『指令』であった。
そもそもこの平和な時世に刀を手に取る話は少ない、かといって機動烈士隊は溝さらいの為に設置された訳ではない。では何の為に、というと其れは誰も知らない。大将軍直轄と言うと聞こえは良いが、その設置に至った理由と言うのも曖昧なのである。大将軍の道楽と馬鹿にする者が実際は多い。『機動烈士隊』は大将軍の私的な部隊である故、そういった批判は後を立たない。
 小さな屯所に際立った腕が揃っている、ただそれだけの事であった。
「天銘会、でござるか?」
 通った声だった。明烈は眼前に構える大将軍に尋ねた。
「そうだ」
 パンッと扇子を閉じて、一息。暫く此方を無言で見つめる。恥かしいものを覚え、明烈は目を軽く下へやった。
鎧中に施された金の文様に、一際目を引く角飾りと『ひげ』飾りのついた兜。その姿、豪華にして絢爛。輝輝として眩ゆいその身を、明烈は黙って見ている他無かった。
――稀代の『変人』・大凰帝大将軍。
「西洋かぶれの過ぎた連中よ。『共和制確立』だとかを掲げ、好き勝手やりたい放題だ。高尚な名目の元の破壊活動。この城だけならまだも、そんな事を街の各所で行っている。理想の達成には犠牲が必要、そんな空言を奴ら呟いておる。民の為の革命ならば、民を泣かして何とする。何とも馬鹿としか言い様の無い」
 静かな口調。声色も顔色も何一つ変えず、されど心持は激しく。大凰帝大将軍は静かに燃える。
「明烈よ、主らそろそろ退屈していたろう」
 言葉に詰まった。退屈?そんなはずは――
そんなはずは無いと、自信を持って言えはしない。
退屈で結構、忙しければそれだけ刀を抜かねばなるまい。決してそれが良い事ではないと知っている。だが――其れでは内に潜む獣は満足はしない。
「行け明烈。主らに天銘会討伐を命ずる」
「はっ! 」
眼をつむれば、内が熱くなっているのを感じた。
 


 ざりざりと土を踏む音のみが聞こえ、蹴り行く足のみが映る。
黄土色の地面。乾ききった表面が移ろう。
「随分と抜いてねえんじゃねえか、刀」
雌雄の呟きが明烈を止めた。
随分、とその言葉に引き止められる。確かに一体、どの位か。
「お前の事だ、余計なお世話だとは思うけどよ。――ただ、」
お前の剣は綺麗過ぎるからと、雌雄は言葉を区切った。加減を忘れていると、そう明烈には聞こえた。
 剣技には自信があった。寧ろそれが明烈の全てであった。浪人の身でありながらも、大将軍の御前試合での連勝無敗、正式な武者を差し置いて天宮最強の評判さえ立った。修練と才覚によって培われた感覚が、容易く他の命を絶つ事を可能とする。それが当然の事、極端に言って息をするのと同じ位容易い。できないのが不思議な程楽で、そしてそれが怖かった。
「殺そう」と、そう思いさえすれば消える命の儚さ。明烈は自分に幾度と無く恐怖を覚えた。何時の日か、何人目を斬った時だったか、急に何もかもが嫌になり、無意味に思え、泣いた。
 ほんの少しだが今でも怖い。命を奪うことへの恐怖は無いわけではない。それが動きの甘えを許し命を落とすこともあるというのに、それはこびり付いて離れない。ただ、それと同じくらい、体が命を賭ける場を欲している。唯一の存在の証明、それが剣を振るう時であった。戦いを心待ちにしている自分もそこに居る。
「大丈夫だ」
 明烈は軽く微笑んでみせた。取り繕ったようなその顔をどう思ったのだろうか、雌雄は同じ様に微笑み返すのであった。
「結局、猫被ってても虎は虎だな。お互い、よぅ」
かかっ、と高らかに笑い、そのまま再び歩き出す。
(……虎か)
『月影流』の継承者が猫で居られる筈も無く。目をつむり少し間を置いてまた開いた。前には雌雄がいる。
「拙者は、大凰帝様の刀でござる。それ以外の何者でも無く――」
そう自分に言い聞かせるように呟き、足を前に進めた。

 着いた屋敷は廃屋同然、人を迎える雰囲気ではなかった。一体こんな場所に誰が好き好んで住まうのであろうか。長い間人の手に掛かっていないに違いない。逆を言えば人の目を避けるには好都合ではある。
明烈は戸に手をかけ横に開いた。
 あるのは、暗闇。
埃にまみれた空気がカビ臭く、思わず目を細める。日が差し込み舞い上がる塵が一つ一つ見える。咳を払い、そのまま中に入った。
 中には幾十人かの人が潜んでいた。目でゆっくり四方をなめると、一同がこちらを凝視していることが分かる。皆、殺気立って――。
汚れた空気を介して様々な負の感情が押し寄せてくる。
「御主ら、天銘会だな?」
返事は無かった。代わりに荒い息づかいと笑い声。
「嵌められた、か」
 

 闇に慣れた目に人相の悪い男達が映る。身なりや各々の所持品からして皆、殺し屋か用心棒の類であろう、雌雄はそう考えた。第一常人がこのように荒っぽい殺気を出す筈が無いのだ。明烈は軽く柄に手をかけ、眼で此方に合図を送る。ゆっくりと住人達が迫ってきた。
「二人とは、楽な仕事だ」
「こりゃあ何もしなくても良いかもな、礼だけ貰ってよ」
品のない声が広がった。そして武器を手に取り直す音が重なり合う。後ろを振り返ると入り口は既に塞がれ、空間は更に圧迫していく。
「?何だぁ、この若造ビビってやがるぜ」
 一人の男が明烈の顔を覗き込む。別段変わった変化は無かったが、その体は小刻みに震えていた。一気に嘲笑の声が咲く。
「刀握ったことあるか?」
「斬り合いは初めてか?」
「「ハハハハハ……」」
口々に流れる罵倒、雌雄は溜息をついた。
「雌雄」
「何だ」
「拙者はやはり、虎だったようだ」
 そう、聞き取れぬ位の声で呟いた。気付けば既に、明烈の刃が抜身になっている。
――間近に居た男の手が地に落ちていた。
「・・・あああああああっ!!!!???」
 絶叫する男。明烈の体は既に震えるのを止め、代わりに凛として立っていた。虎と形容して障りの無いような眼で、睨む。ゆっくりとその刃を鞘に戻し、
「其れを握るからには命を賭けろ。そうでなければ、覚悟が無ければ三つ数える、此処から去れ」
一気に広がるざわめき。皆、今の状況を完全には理解できていないようであった。互いに顔を見合せ、幾人かは逃げる者もいた。
「参・・・弐・・・壱・・・。三つ、数えた」
 刹那に、一蹴りで敵の群れに飛び込み横一閃、明烈の居合いに腹を掻っ切り五・六人が倒れた。続けて返し刃で一人。突いて一人。流麗な動きでこの狭い中を駆け回る。男達はワケも分からず悲鳴に似た叫びを上げ、立ち向かっていく。
 斬、一閃、斬、一振り。美し過ぎるは剣の振るい。
雌雄はうつむきと震え、こみ上げる笑いを抑えきれなかった。
(本当、綺麗に斬りやがる。俺のとは大違いだ)
 興奮が体を支配しているのが雌雄には分かった。この興奮を知っていた。名画を見たときの様な喜び。人を斬ることがこんなにも美しいものか?明烈の剣は正しく芸術の域に達していた。
 其れは月の光の如し。即ち『月影』。
月影流左抜刀、明烈の姿が其処にある。薄ら笑みを浮べ、雌雄は惚れ惚れとその動きに魅入っていた。
 迷い無くその刃は身体から身体へと移る。無駄なものの何一つ無い、完璧な動き。混じり気の無い純粋に美しい剣技である。それを前に次々と男達は膝を着いていく。ある者は逃げ、ある者はワケも分からず声を張り上げ、斬られていった。
 一撃必殺が望ましい。それが明烈の修めた月影流の理念であった。
闘いの最中、余計な情を掛けるならお前が死ね。それが最善。その手に刀を取った時点で迷うことは許されぬ。其れが礼儀。其れが剣。相手の生命を預かり造り上げる『美』は、究極である必要がある。
それが師の口癖だったと、何度か明烈は自分に話していた。
(一閃、月影の如く、か)
台詞を思い出しつつ、明烈が刀を鞘に収める姿を見る。周囲には雌雄以外、もう誰も立ってはいない。その中で明烈は息も切らさず、更には返り血を全く浴びることなく、涼しげに立っているのであった。
(此処まで来ると驚いたり腹立つってより、呆れちまうわな)
一緒にいて溜息を吐かない事は無い。それが全て感嘆の息でないにしろ、幾度と無く明烈が輝いて見えた。



 顔を上げた。分かっているつもりではあったが、四方に人が重なり合い倒れている。之だけの人数を斬った、気質が気質だけに何も感じないわけが無く、この虎は急に猫になった。明烈は少し間を置いて口を開いた。血の匂いの滲む空気の中に、そう長くは居たくは無い。
「……終わった。早く城に戻り、後を頼もう」
「ああ。…………?!明烈っ!!」
不意。
不意に背後から鎖が弧を描いて明烈に降りかかった。その軌道は首筋に向かう。明らかに絶命を狙った手。
 空気の異質を感じるやいなや、明烈は大きく横に跳ねた。鎖は、首を逸れ肩をかすめた。
(避けきれなかったか……!)
痛みは軽くは無かった。肩を押さえ後ろに振り返る。屋敷の奥のほうから薄闇に紛れ、男が出て来た。
 異様な風貌であった。洒落味の無い黒金の鎧、殺気の混じる荒々しいその眼。何よりもその手に持った鎖の巻き付いた槍、のような物が目に付く。身体の奥から冷たい空気を漂わせる。印象は決して良いとは言えなかった。
『帝王』、それ以上この男に相応しい言葉は無い様に思えた。
「全く、三十人も雇えば足りると思ったが・・・たった二人、いや一人か?それに之、とは見当違いもいいとこだ。まあ金を払わずに済むと思えば、有難いがな」
顔を変えず、男はさもつまらなそうに鼻で笑う。
「信じられんだろうがどれも皆、それなりに用意した筈だったのだ。其れこそ、頑駄無軍団であろうとも十分殺り合える位のを、な」
「……」
「それが、これだ……!!」
 男は目一杯、怒りに戦慄いた腕で槍を床に倒れた刺客に叩き付けた。一瞬眼が眩むほどの閃光が走り、大きな音を立て幾つかの死体が跳ね上がった。――焦げた臭い。鎖はバチバチと騒いでいた。
 後ろの雌雄が口を開いた。
「明烈、こいつが天銘会の創始者、機帝だ」
微妙、男の顔が歪む。構わず雌雄は続ける。
「昔は一端の城勤め、それなりの武者だったが、その才覚を買われ機巧作業所に赴任、その後若くして副所長に成るまでに登りつめる。が、数年前に不幸にも実験中の事故により死亡した。……さて、それじゃあ手前は何だ、幽霊か?」
「ならば、如何する?」
「さっさと成仏して貰うさ。こっちは迷惑極まりない」
雌雄が睨む、しかし向こうも臆さない様子であった。鉄の様な眼で、むこうも睨み返す。其処に漂う重厚な静寂――。
「大将軍に目を潰された犬めら、よく聞け。俺は古より続いてきた武士の時代を終わらす、その為の革命、その為の『天銘会』。もはや大将軍の元での泰平等に意味は無い。民こそがこの国、天宮を治め中心と成るべきなのだ。万人に均等の機会が与えられ、誰もが自由に夢を見、生きることのできる世、それを俺は目指す!西欧では既に自由を求め革命の末それを手にした所さえある。
……邪魔立てするならば、誰であろうと消えてもらう」
 その台詞で男、機帝に感じていた威圧が一層強まった。眼は静かに重く、此方を刺している。何があろうとこの男を揺るがすことは出来ないと感じる。
 肩を押さえていた手を離し、明烈が一歩前に出た。
「其の為なら人の命も惜しまぬと?」
「痛みの無い改革などありえん」
「そこが、拙者は気に入らぬ」
 居合いの構え。もはや争いは避けられまい。それを見てか、雌雄が更に後ろに下がった。
 刹那に、機帝が槍を持ちつつ此方に駆け出した。絡まった鎖が音と共に火花を散らす。ほんの手前でそれを振り上げ、叩きつけようと高らかに掲げた。
 上段――
明烈は思わずそのがらんになった胴を見た。
(甘いっ……!!)
 鞘から出る光はゆっくりと姿を現し、機帝の脇腹を打ち抜かんとする。そして一閃が機帝の胴を横切った。
 そこにあったのは不確かで妙な手応え。刃が通り過ぎ本来肉や血が見えるはずの身体からは、代わりに金属の部品と火花が見えた。
(……鉄機?!)
その時には高圧の電流に塗れた機帝の槍が、代わりに明烈を打ち抜き後方へ飛ばした。
 苦い顔で雌雄が駆け寄ると、明烈は白目をむき、身体を痙攣させている。どこか焦げ臭い。
機帝は憮然として、その脇腹を気にするでもなく、立っていた。火花散らしその鋼の肉を露にする。
「斬ろうと思えば斬れたものを。甘やかされた犬はそんなものか?」
「手前……」
鞘を鳴らし構える。自分が行くしかあるまい。だが、その時雌雄は悟った。自分もまた、遅いのだと。
 先ほどから気になっていた妙な臭い。あの鎖に焼かれた殺し屋や明烈の臭いかと思っていたが、違う。知っている、この臭いはやはり違う。この周囲から漂う臭い。始め屋敷に入った時に感じた違和感。カビや埃や汗や土や木や畳や汚水や煉瓦や腐物ではなく、これは、

            火薬の匂い。

「やば………っっっ!!!」
手を離し明烈を抱える。鎧を身に着けているだけやはり重い。だが既に、機帝は仕事を終えていた。
「縁があれば又会おう、機動烈士隊」
 次の瞬間に紅蓮と爆音が全てを粉砕した。



 重い荷物を降ろし雌雄が腰を降ろした。
「……何とか、間に合ったな。起きろ、隊長。もうすぐ昼飯だぜ」
そう言って頬を思い切り叩く。明烈が眼を覚ますと、黒く煤に汚れた雌雄の顔があった。
「馬鹿野郎。肝心な時に甘ちゃんに為りやがって」
ぼやく雌雄を他所に暫し眼を遊ばせていると、その向こうで屋敷が燃え上がっているのが見える。先まで自分達がいた屋敷だ。明烈は急に立ち上がり声を張った。
「何をやっている!早く火消し組に連絡を!城にも応援を……」
立ち眩み。膝が軽く折れる。やはりまだ、十全ではない。
「いいから、其れはやっとくから休んどけ、隊長」
 不安定な姿勢のまま頭を押さえ込まれ、明烈は地に仰向けとなって倒れた。空が見える。澄み渡る晴天である。
「何をする、雌雄!拙者は・・・」
「後始末は任せて怪我人は休んどけ。俺達がそんなに頼りないか?」
そう言うと雌雄は軽く笑い、去っていった。
 独りになった。風のささめきが聞こえる。木の炭化する音、飛び交う灰、之だけ離れているのに感じる炎の熱。空は雲ひとつ無く、満天の笑顔を見せ付ける。陽に明烈は眼を細めた。
――決して、決してこの空を泣かすものか、そう思う。
(天銘会、鉄機、久々の仕事、ああ、何もかも面倒だ)
手を伸ばせば空を掴み取れる気がするが、そんな事は在りえない。伸ばした手の拳を固めてみる。大きく息を吸う。暖かい空気だ。
 この街の皆を泣かす様な事はあっては為らない、その為に自分達は存在するのだ。その事を再度思う。
(いいさ、拙者は刀。大将軍様の、御刀)
一息、
「拙者は、」

――拙者は明烈、月影流免許皆伝・機動烈士隊隊長、拙者の名は明烈!

 そう空に向かい大きく叫んだ。意味など無い。にこりと笑い、明烈は眼を閉じて休み入った。太陽は優しく照っていた。




            


NEXT TOP

-Powered by HTML DWARF-