白珠の巫女------STAGE3 露見

 火蓮の葬儀から一週間が過ぎた。一人の少年の死など忘れたかのように、時は我侭に過ぎ去り、日常がやってくる。人の死など、結局の所、案外軽いものなのかもしれない。
屯所の縁側に腰掛け、明烈はそんな事を思った。あんなにも火蓮の死を悲しんでいた筈の自分は気づけばもういない。いつまでも過ぎ去った事にしがみ付いていてはいけないとも思うが、悲しい気もする。
火蓮はこの目の前の庭で、よく鍛錬を積んでいた。朝から晩まで、彼が土を蹴り空を裂く音が聞こえていたものだった。
「急に、静かになりましたね」
 傍らに百式が立っていた。昨日用事を済ませ、一週間ぶりに戻ってきたばかりだった。
「人一人いなくなるという事は、こういう事なんですよね」
腰を下ろし、庭先を見つめながら百式は呟く。いつもの清楚な横顔には、憂いが浮かんでいた。
「そうだな」
 明烈は振り向く。茶の間では空牙が寝、磁武が本を読んでいる。見慣れた光景だ。何も違いはしない。何も――。
明烈は目を細める。
「朝から雌雄の姿が見えませんが」
 ぼそりと、百式は訊ねた。
「………」
柄にも無くだんまりを決め込んだ。乾いた唇を湿らせ、ただ時が過ぎるのを待つ。
「何処に、行ったのですか。知っているのでしょう?」
「知らぬ」
置いていた刀を握り、立ち上がった。百式はこちらを見上げたまま、
「らしくもない」
と言った。
「私たちは仲間でしょう?それを一番知っておられるのは明烈、貴方の筈だ」
「知らぬ」
僅かな憤りを見せる百式に背を向け、明烈は向こうへと歩いていった。出かけた声を百式はしまったようだった。
 自室に戻り、明烈は座しながら昔を思い浮かべた。
まだ機動烈士隊が明烈一人だった時の事だ。初任務で数十人の悪党一味を相手にした際に、頼みもしないのにしゃしゃり出て手を貸してくれた男がいた。それが雌雄だった。二人は互いの腕に惚れ合った。だから明烈は雌雄を機動烈士隊に誘った。
――今思えば、二人の出会いはそれだけの事でしかない。
「拙者らは、」
豊満な虚無の中、独りごちた。声はすぐに掻き消える。
「拙者らは、互いの事を何も知らぬ。……何も知らぬのだ」
目を横にやれば、窓越しに魔城・暴終空城の姿。そしてその姿を隠す様に、紅葉の葉が一片散った。




 
――丁度七年ほど前まで遡る。
 少しやんちゃが過ぎたのか何なのか、詳しくは知らぬが、村を追い出された若き頃の雌雄は、数年前より紅葉くれはという浪人の元で暮らしていた。全身を紅色の目に痛い鎧で飾ったその男は、何故だか、乞食同然の汚らしい餓鬼だった雌雄を気に入り、その身を養っていた。とある町の狭く小汚い襤褸長屋の一角に二人は住んでいた。
 紅葉は用心棒を生業としている男だった。『紅化粧』という薄刃薄紅の長刀を用い、常人離れした腕前で、いまだ負けというものを知らぬ男であった。
「俺の鎧はな、斬った相手の返り血で紅く染まったのさ」
時折そんな冗談を雌雄に聞かせていたが、雌雄は時にそれを真実であると錯覚しかねなかった。
 雌雄にとって紅葉は友であり父であり兄であり師であり、そして全てだった。雌雄は紅葉に憧れた。少しでもこの男に近づこうと思いながら日々を過ごした。
「いい加減俺に剣教えてくれよ!さっさと死んでその刀くれよ!」
「とんでもねえ餓鬼だな……雌雄、刀は眼で盗めって言ってるだろ」
 そしてある日、錆付き掛けた機巧を紅葉が連れてきた。四角の頭部、汚れた身形、異形の鉄機武者。少し前に紅葉が仕事先で出会った宿無しらしかった。雌雄は少しは戸惑ったものの、温かく迎えることにした。自分を優しく迎えてくれた男が連れてきた奴だから、何の問題も無いと思ったのだ。家は益々小さくなって、騒がしくなって、毎日が、楽しかった。
 鉄器武者は伝内といった。伝内は紅葉の仕事の手伝いをした。
「ちょっ、おっさん!!何で俺は駄目でこいつは良いんだよ!?」
「お前の腕じゃあ唯死にに行くようなもんだからだ」
不服ではあったが、伝内の腕は確かだった。鉄器だから、という事もあったろう。確かにその動きは紅葉と同じく常軌を逸していた。しかし何より恐れられたのは、その三又の槍だった。その槍に突かれた者は、内側から破裂して死ぬのだった。
「お前は化けもんだよ、本当に!しっかし、その名前は気にらねえな、弱そうだ」
 酔った紅葉がそう言った。
「よし!俺が肩書きでもつけてやる!……『鬼機』ってのはどうだ?鬼機・伝内。うん!語呂もいいし強そうだ!!お前は今日からそう名乗れ!!!カハハハハハ!!!」
紅葉はすっかり気を良くして、伝内の肩を何度も叩いた。苦い顔で雌雄はその様子を見ていた。伝内は無表情の鉄面皮であったが、なんだか嬉しそうに見えた。
 次の日、紅葉と伝内は何時もの様に仕事へと出かけた。雌雄は付いては行けなかった。矢張り、紅葉が止めた。
「……仕方ねえ。じゃあ、次からは試しに連れてってやるよ」
「本当か、おっさん?!」
雌雄は歓喜の声を上げながら、薄ら笑いのまま去り行く紅葉の背を見送った。
 日が暮れた。二人はまだ戻ってこなかった。流石に帰りが遅い。雌雄は不確かな記憶を頼りに、二人が向かった先に赴いた。
 秋の夕暮れは美しかった。橙色の輝きの中で吹く風に煽られ、紅い葉がひらりひらりと舞い落ちる。
 雌雄は一つの屋敷に行き着いた。何だったか、確か悪どい金貸しの家だった気がする。揉め事があってその示談の件での用心棒に行くのだと、紅葉が話しているのを覚えていた。
(まだ話し合いみたいなのついてねえのかな?)
重い門が雌雄の前に立ちはだかっていた。軽く息を吐き、その扉を押し始めた

 そこで地獄を見た。

 辺り一面に散らばる紅。血という血が庭の土を染め上げる。斬られ千切られ、そして『弾けた』死体が無数に転がっている。鉄臭い匂いの中に、腐臭が混じる。誰一人息はしていまい。皆死んだ。刀で斬られた。槍で突かれた。皆、何も語れない。
 その中に、紅葉の骸もあった。
「おっさん?!!!」
雌雄は駆け寄り、紅葉の身を揺すった。生暖かくぬめり気のあるものが手に触れた。
「死ぬな!おっさん!死ぬなよぉぉぉおおおおお!!!!」
 必死に声を上げた。届かない。
「おっさん!!おっさん!!おっさん!!」
既に紅葉の鼓動は停止している事を、雌雄は直感で認識した。ゆっくりとその手を離す。骸は糸が切れたように、だらりと地に付いた。
 雌雄は腰元の刀に手を触れた。愛刀の『紅化粧』、自分が何度も欲しいとせがんでいた刀。それは今、あまりにも呆気なく手に入る。だがそれは握った途端に、はっきりと、自分の扱える代物ではないことを悟る。気づけば、雌雄は泣いていた。
 顔を上げる。その先にいる、鉄器武者。油と汚れに塗れたその身の上に、紅を上塗り。薄汚い錆に血を絡ませ、三又の槍を下げている。
「殺してやる」
 雌雄は憎悪の限りを込めて呟く。長柄の紅化粧を握り、顎を軋ませ。この刀で斬ろうと考える。
「殺せ」
伝内は答えた。
「殺せ、雌雄。俺は何だってする、如何なっても構わないし、赦されるとは思っていない。少しでもお前の気が晴れるなら、如何にでもしてくれ」
伝内は、目の前の鬼は泣いていた。雌雄には分かった。だが伝内は泣けなかった。涙を知らなかった。何時もの鉄面皮のまま、こちらを見る。
「……今じゃ無い!俺はこの刀を、『紅化粧』で……っ!お前を思う存分斬る!!其れまで…待ってろ!!」
鬼は黙って頷いた。真剣に頷いた。不細工に泣き続ける雌雄の顔を見、伝内は背を向けた。
「……七年後だ!七年後、手前を斬る!!!!」
雌雄は吼えた。伝内は、振り返らなかった。





秋風が肌寒い。一面に続くくさむらなびき、身を縮ませる。何本か混じっていたすすきの羽が宙に舞った。
雌雄はゆっくりと、その刃を抜いた。薄刃薄紅の長刀・『紅化粧』の姿を晒し、その切っ先を目の前の鉄人形に向けた。
「長かった。俺には永劫にさえ感じられた」
 鉄器武者は何も言わなかった。黙って雌雄から発せられる言葉を飲み込んだ。そしてまた、雌雄と同じように、背負っていた三又の槍を持ち直し、その先を相手に向ける。
 両者は見合った。過去のしがらみを確認しながら、各々の思いを込めて見合った。
「七年、か」
伝内の呟きに雌雄は耳を貸さなかった。今は殺意しかいらない、そうでなければ、今まで生きてきた意味がないと、雌雄は言い聞かせた。
 雌雄は答えない。半歩、前へと踏み込んだ。もうすぐ間合いである。切っ先で伝内の姿を捉えながら、呼吸を落ち着かせる。
――殺す事しか考えてはならぬ
雌雄は繰り返した。
「俺は、」
 伝内が言う。雌雄は握る力を強めた。
「俺は、代用品オルタナとしてこの世に生まれた。分かるか?俺は俺自身が望まれ生まれたわけでなく、俺は誰かの代わりとしてしか望まれていなかった」
 更に半歩、雌雄は間合いを詰めた。
「事故により大破した、ある鉄器武者の代わりとして俺は造られた。見てくれこそこんなだが、回路プログラムの隅々にいたるまで、俺の構造はその鉄器武者と全く同じくして造られた。
――しかし、何かが大きく異なった。『俺』は『アイツ』とは全く違う人格を持ってしまった」
 意識の隅々を研ぎ澄ます。それこそ、気配だけで全てを切り裂くほどまでに鋭く。
 息を吸え。鼓動を感じろ。肉の躍動をも。望んでいた結果はもうすぐなのだから。
「俺を造った男は落胆した。『俺』という存在を知った時、大きく絶望した。男が望んでいたものは『アイツ』だった。『俺』は不要だった。しかし、『俺』と『アイツ』は、違う所なんて一つもありはしない。男は悩んだ。理解できなかった。
 同時に俺はこの世に生れ落ちた事を激しく恨んだ。俺は存在の全てを否定された。意義が何処にも見当たらなかった。死のうと考えた。けれど、俺の回路がそうはさせなかった。俺の身体は無意識に如何なる死にも抵抗する。
 俺は悩んだ末に旅に出ることにした。何処かに俺の存在する理由があるかもしれないと、淡い期待を抱いた」
 身体から力を抜く。されど、集中はとぎらせずに。この鎧の両肩に付いた噴出孔バーニアが火を噴くその時、一気に畳み掛ける。
――迷うな。斬れ!
「旅を経て得たものは、何もなかった。皆俺の姿を受け入れなかった。忌み嫌った。誰もが俺を避けた。
 そして更に付け加えたように、俺には一つ重大な欠陥があった。それは矢張り『アイツ』と同じ欠陥。ふとした感情の不安定が原因で起こる、『暴走』。不定期にやってくるその衝動の所為で、俺は我を失い幾度と無く人を殺めた。
――あの日のように」
 ピクリと、一瞬だけ雌雄の動きが止まる。しかし聞き流したかのように、また意識を前へと向ける。
「俺は、疲れたのだ、雌雄よ。俺はいつしか何も考えないようになった。考えれば、いつまたあの衝動が襲ってくるか分からない。だがあの日、紅葉とあって以来、お前と共に暮らすようになって以来、俺は考え始めてしまった。ずっとこの時が続けばいいと思った。あの時、俺は俺が俺である意味が分かりかけた気がしたのだ」
「うるせえ!!!」
 雌雄の両肩から火が吹く。その推進により一気に前へと躍り出た雌雄は、一瞬で幾度と無く、その『紅化粧』で伝内を斬りつけた。
――奥義・紅葉
 首筋、肩の付け根、全身の急所を狙ったその斬撃は、完全に相手の息の根を止めるにはいたらなかった。全身から火花を散らし片腕を外しかけながら、伝内が片腕で三又の槍を振り回す。槍の先は蛍の如きほの明かりを照らす。
「くっ!!!」
 槍の先が雌雄の胸を掠める。鎧が、内側から破裂した。
「雌雄、俺は俺がしたことが許されるだなどと、微塵にも考えちゃいない。俺は死ぬべきなのだ。殺せ。俺は、この世にいてはいけない存在なのだ。
――俺は、禁忌を犯した存在なのだ」
「黙れ!!」
 もう一度刀を持ち直す。次は外すものか。そう思っているうちに伝内が槍ごと此方に向かい来る。
 今度は肩に直撃を許した。肩鎧は激しく音を立て破裂し、肩の肉の一部も弾け飛んだ。激痛と血がこみ上げる。
「何が代用品だ、何が禁忌だ、何が殺せだ、好き勝手一人で言いやがって!
――七年、考えた。俺は如何するべきか。おっさんの為に何が出来るか。俺なりに、答えを出したつもりだ!!」
溢れ出る血を感じながら肩を抑える。止まりそうも無い。少し苦い顔のまま手を放し、息を吐き、切っ先を再び向ける。
「おっさんはお前を救いたかった、そうだろう?お前に殺しを止めさせたかった。そして一緒に自分も足を洗う気でいたんだ。しかしお前はそれを恐れた。掴みかけた平穏を失う事を恐れたんだ。だから『狂った』。そしてあの日、おっさんを殺した!」
「………」
「俺はお前を恨んでなんかいない。だが俺は決めたんだ、お前を斬ると。おっさんの為じゃねえ、俺の為だ!!……手前が代用品でも禁忌でもなんでもない事ぐらい、自分が一番分かっている筈だろう!?お前はお前だ!そんな事も分からねえだなんて、手前は生きていくには哀し過ぎるんだよ!!!」
「俺は……」
「自分の生きてる理由とか意味とか知っている奴なんて、誰一人いねえんだ!!誰もが皆それぞれの罪背負って生きてるんだ!!手前だけ特別だと思うんじゃねえ!!」
 自分の脚の力だけを信じ、大きく大地を蹴り上げ、加速。雌雄の身は空を裂き、前へ、前へ。刀を握る力は限りなく零に近く。全身の肉からは、力という力を抜き
一気に放つ!

――月影流奥義・・・・・・『紅葉』

 伝内の槍の先が捕らえた雌雄の腹部から、血が流れる。そしてその後ほぼ同時に、伝内の全身いたる所から赤黒い液体が一気に噴出す。刻まれた幾多もの斬撃の痕。そのまま膝を折り、地に倒れた。
 ゆっくりと雌雄は伝内に近づいた。あの日みたく泣いているのが分かった。流れる涙を拭こうとも思わず、崩れた伝内を見た。
「……俺は、」
雑音交じりの電子音で、途切れ途切れに伝内が話す。
「俺は、死に場所を求めていた。その筈だった」
雌雄は抜き身になった『紅化粧』をしまった。伝内は続ける。
「思えば中途半端、だったのだろうな。死に切れず、生き切れず。そして全てを何かの所為に委ね、逃げていた」
「………」
「俺は此処で終わるのだな」
涙も血も流したままで、雌雄は黙って立っていた。
「お前の手で終われてよかったよ」
 唇を噛みながら、雌雄は目を細めた。電子音は弱まっていった。気づけば音はしなくなっていた。何時しか伝内は、ただの鉄屑へと姿を変えていた。傍らには緑に微か光る三又の槍。
「もっと、美しい物を美しいと思いたかった」
伝内は最後にそう残した。
 終わった。長い間溜めていたものが、一気に抜け落ちた。雌雄も膝を折った。目の前に、もう動かない伝内がいる。
 腹から流れ出る血が伝内へと一滴、二雫。紅化粧を杖代わりに雌雄は何とか立ちを保っている。痛みは、もう何がなんだか分からない。此処で、最期とするか。
「そういう訳には、いかないんでね」
自分は、あの二人の分も生きなければならないのだ。あの二人の魂を背負いながら生きていかねば――。
深く息をした。帰ろう。機動烈士隊に、戻ろう。
 振り返る。あの鉄屑は黙ったままだ。
「……お前は、哀し過ぎるんだよ」
 秋風は冷たい。生い茂った植物を踏みつけながら、雌雄は歩き出した。




 誰もいない叢の中に、寂しげに捨てられた人形が一つ。男はその部品を手に取り、そしてまた置いた。
「伝内、お前は幸せだったか?」
男は訊ねる。青の鎧には、銀で出来た狼の彫刻が備えてある。武士であり科学者であるその男、月流は空を仰ぎ見た。今にも、泣きそうな空だ。
 再び捨てられた鉄器武者を見る。
「お前は代用品なんかじゃないさ。……人は皆、望まれて生まれる必要なんかない」
 自分は何がしたかったのだろうと、月流は考えた。自分のやってきたことは、唯誰かを不幸にしているだけなのかもしれない。もう喋らないこの鉄機は、幸せだったのだろうか。
「月流」
背後で声。数少ない友人の龍ヶ斎だった。伸びた草を鬱陶しそうに歩み寄る。
「どうするんだ?捨てっぱなし、なわけにもいかないだろう」
「後で部下に回収させるさ」
「そうだな、こんなの置いてあっても迷惑なだけだ。…それに」
「それに?」
「この中には、鉄器丸の部品も入ってるんだろう?」
「……そうだね」
思い出したくない、忘れてはならない名。いつも無邪気に微笑んでくれた、嘗ての友人。
 もうこれ以上は思い出さない事にした。思い出しては、いけない。過去に固執して招いた結果が此処にある。
 もう、止めにしよう。
「龍ちゃん」
声を明げて言う。
「何?」
「此間の話なんだけど、実現しそうだよ」
「欧州行きの話か?」
「そう。行こうよ是非。あっちには鉄器武者や武器の技術は無いけれど、代わりに『機兵』というものがあるらしいんだ。でっかい機巧武者だよ、龍ちゃん。それに古代の錬金術の情報も多少残っているらしい。なんだかワクワクするじゃないか!行こう、すぐにでも」
一人盛り上がる月流を、キョトンと見つめる龍ヶ斎。
 この欧州行きの話はかなり前から月流が提案しているものであった。隣国影舞乱夢・赤流火穏を越えたその先の先、そこに欧州はある。武者の代わりに騎士なる者たちが存在する遥か西の果ての地。このことに関しては龍ヶ斎も賛成の意見は持っていたものの、費用や時間、言語、何より何の当ても無いことを理由に反対していたのだった。
「行くっても、何の当てもナシじゃ……」
「それが出来たんだよ、当て」
驚いた顔の龍ヶ斎を見て、月流の心は踊った。
「向こうに住んでいる天宮出身の科学者、まあ俺と同じ武士がてらって奴だけど、その男から手紙が着てね。『何卒協同での新型鉄器武者の開発をお願い致候』ってことで、何でも住まいや暮らしの世話もお願いできるらしい。近い内、交通の手配もつく筈だ。もちろん龍ちゃんも助手って事で一緒に行くよ。いやあ、運が良いね。それとも人徳か、才能か」
 そんなことを一気に語り、月流は笑い出す。愉快だった。この先に見える未来が、楽しみで仕方ない。それに、もしかしたら……
――止めておこう、もう考えないと決めたばかりだというのに。
「おい、そいつは信用の置ける奴なのか?そもそも天宮出身の科学者って、誰だよ?」
「信用って、そんな遠路遥々人を招いて何騙すっていうんだよ?」
「まあ、そりゃそうだが……」
「それに、向こうではそれなりに名が通っている人らしいぜ?名前は、ええっと……」
 月流は懐を探り始めた。確か手紙があった筈だ。それを探り当て、広げて、差出人の名を検索する。
「お。あった」
 くしゃくしゃになった紙の左端、朱印と共に記された差出人の名。
「名前は、禍霊万だって」




 抜けていく血を感じながら、雌雄は歩く。『紅化粧』という頼りない杖を突きつつ前へと進む。戻らねば。戻らねば。
「何かある毎に怪我して、結局参加できねえじゃ馬鹿も良いとこだぜ」
 半年ほど前の機帝騒動を思い出した。情けない、と我ながら思う。そういえばあの時は伝内が助けてくれたのだった。彼はもう、終わった。
「とりあえず、死なねえようにしないとな……」
とはいえ目が霞む。足元は覚束ない。もうだいぶ経ったというのに、まるで殆ど進んでいないではないか。焦燥感が出てきた。
「畜生……」
疲れている。寝てしまいたい。
 ああ、気が遠くなってきた。
「あの……?」
声がした。見た。二つ、人影が見える。
「大丈夫ですか?手をお貸ししますけど……?」
「……ああ、済まない。できればそうしてもらいたい」
男、それも若人が二人、だった。一人は暗い茶の鎧の男で、いたる所を包帯で覆っている。怪我しているようだ。もう一人は少し地味めな、白い鎧の男だった。
 二人は雌雄の肩を持ちながら歩き出した。
「何処まででしょうか?」
「破亜民我夢まででいい。悪いが頼む……」
「破亜民我夢なら僕らの行き先なんです、大丈夫ですよ」
そうか、とだけ言い、雌雄は若干身体の力を二人の若者に委ねた。
 破亜民我夢の街が見える。大将軍の御所である烈帝城に対峙して、魔城が聳えていた。
「な、何ですか、あれ?!」
 若者のその言葉で少しだけ、我に返った気がした。そうだ、俺は機動烈士隊なのだ。それを見失っていたのだ、と。
(そうだ、俺は……)
 振り返る。自分を縛っていた過去という錘はもう、この世から消えた。哀しい鬼は、いない。自分はその分まで生きなければならない。
忘れていた。自分は雌雄という人間である前に、機動烈士隊副隊長・雌雄なのだと。あの男と、杯を交わしたあの男と同じように。
(済まない、明烈)
失いかけていた眼の光を放ち、雌雄は見据える。紅葉舞う都に決して涙は流させまい。
 それが自分の、自分たちの願いだ。そう強く噛締めた。

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