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「名門『百式家』の十七代目に茶の一つも出せぬ非礼をお許しくだされ」
「どうか、お気をかけずに」
 時を戻す事数日。
 珍しく休みを取って、百式が訪れたのは数ある法術の流派の一つ、『時防流』の総本山(極めて著名な名なので、あえてその地名は伏せることにする)。
 その頂にある堂にて、百式は静かに座していた。目の前に威厳を含みつつ座る坊主、つまり時防流の大僧正たる人物は、堂内の中心に備えられた段の上から百式を見下ろしていた。質素だが、所々に金の装飾がなされた特注の袈裟と、背には金の大輪を付けており、何かと眼に痛い。大凰帝大将軍の姿を思い浮かべる。
「して、その絶縁なされた筈の十七代目が、遠路遥々我が時防流に何の御用か?」
 少しだけ眉を顰め、百式は間を置いた。
「一つ御指南お願いしたい」
「ほう。しかし、神童と謳われた百式家十七代目に教えられることなど、私どもにありましょうか?」
大僧正は、傍らで鎮座する小坊主たちの事などかまわずに、いたずらっぽく笑った。
「相手が少しばかり厄介でして」
「ほう。貴方ほどの人物を此処まで赴かせるとは、どんな御方です?」
「陰陽師」
ぴたりと、緩んでいた大僧正の顔が止まる。静まっていた小坊主達にも乱れが見え始めた。百式は続ける。
大僧正はゆっくりとその口を開いた。
「……百式殿、陰陽術がどんな術法か、ご存知か?………いや、野暮な質問でしたな。貴方が知らぬ筈はない」
「太古の秘術『錬金術』、その流れを最も大きく含んだ失われし技法、『陰陽術』。言ってしまえばあなた方の本家である『時操流』の本家にも当たる。そしてその特色は『式紙』という術に集約される。
――『時防流』、もとい『時操流』が得意とする『式神』が、霊魂の類を札に宿らせ使役する術であるのに対し、『式紙』は札そのものを神格化する術。一見同じでも原理は異なる。『式神』が必要とするのは『心力』と霊魂との『契約』。片や『式紙』が必要とするのは、純粋な『心力』のみ。それも、桁外れの。よほど優れた、それこそ神に選ばれたかの様な才覚がなければ扱えなかったという、今や文献でしかその存在を確認する事ができない黒歴史時代の伝説、と言った所でしょうか」
 長台詞を吐き終えると、百式は軽く微笑んだ。大僧正の顔つきは変わらなかった。北の地という土地柄、いや、やはり山頂だからだろう、堂内には冷ややかな空気が流れていた。
「……陰陽師」
大僧正は、その言葉を繰り返した。深く確かめるように、飲み込めるように。
「何かの冗談では、つまり無いと?」
「相手は化け物です」
 そうだ、化け物だ。百式はふと、あの鳥目の男を思い出した。近寄るだけで吹き飛んでしまいそうな『力』を持った、何処までも深く黒い何かをもった哲学者――。
 軽く、拳を固めた。
「大僧正様、時防流の奥義『式神』を、御指南頂きたい」
百式は告げる。
「……陰陽師相手に、その術が何の役にも立たない事は御周知でしょう?」
「そう、その通りです。あの化け物相手に通用する術などあるわけが無い。札に封じ使役した式神は、存在する間もなく掻き消されるでしょうね。
……一つだけ策があります。式紙は紙を媒体にしているが故に火に弱い。そこ突く」
「陰陽師相手に火を放つと?無理だ、不可能だ」
「                      」
「な……!?」
「やります。その為に此処に来たのです」
百式は立ち上がった。座したまま大僧正は此方を見ていた。
「百式殿よ。初めから私に指南など、求めてはいなかったのですな?」
「そんなことはありませんよ」
「喰えぬお方だ。素直に『協力』して欲しいと言ってくだされば良いのに。既に式神の技法を習得なさっておきながら、お人が悪い」
「ご存知でしたか」
 ひゅうっ、と強い音がした。外の風の音であった。



 灯りも無く暗い廊下を奥へ奥へ、その先にある広い空間に百式は座していた。目の前にある二本の松明(たいまつ)だけを頼りに、何とか明るさを保つどす黒い暗黒の中で、一人、座していた。その松明に挟まれるように、中心には巨大な邪神の木像が聳え立って睨み付けていた。
「百式殿」
 背後から声がした。大僧正だった。気配だけを感じ、百式は前を向いたままでいた。
「もう少しで準備は整います。暫しお待ちを」
「ありがとう御座います」
顔を上げた。険しい顔で、木像は何も語らない。百式はその眼を見つめた。
「二度目です」
 不意に告げた百式のその言葉は、大僧正を戸惑わせたに違いない。語るべき言葉も無く、大僧正は何も言うことができなかった。
「二度目です。生涯で二度目なんです。私が誰かを憎んで、殺してやろうとさえ思い、それでも全く歯が立たなかったのは」
松明の炎が揺れる。木が燃え、弾ける音が虚しく響く。
「……貴方の力は本物だ。正直なところ、私など遥かに及ばぬほど貴方の力は秀いているでしょう。何故『百式家』を捨ててまで、あの浪士集団にいるのか理解できませぬ。
お聞かせくだされ、その話。貴方をそこまで言わせる相手とは、一体何者なのか。一人はあの陰陽師として、もう一人は?」
床は冷たかった。眼前の邪神は、尚も睨み続ける。無礼を承知で此処に座っている自分に対する怒りの所為かと、百式は思った。
「もう一人……」
「そう、もう一人」
「少し、お話しましょうか」
 大僧正に対し語る気は無かったように思える。目の前の木像を見つめたまま、百式は口を開いた。



「あれは、そう、私が十二の誕生日を向かえ、一週間後に十七代目百式を襲名しようとしていた、ある夜の事です。
 当時の私は天狗になっていました。ご存知の通り我が百式家は古来『百士貴様』より分家として脈々と続く、法術の大家。その十七代目を襲名する日が近づいていた事がやはり大きかったのでしょうが、自分の尊敬する父上をして『お前はやはり天才だ』と言わしめた事が余程嬉しかったのでしょう。事実、其の時にはもう、私は父上を超えていました。私は自分に自身があった。それも、根拠の無い自信ではなかったのです。
 父はその日、何処に行ったのかは忘れましたが、珍しく家を留守にしていました。確か母上も一緒でした。兎角に家には、私と身の回りの世話を焼く者、それと警備の者が何名か残っていました。
 私はすっかり十七代目を気取って、あれやこれやと周りの者に指示を下しました。気分が良かった。この家は自分の物なのだと実感したかったのでしょう。今思えば子供じみた振る舞いで、恥ずかしい限りですが。
 暫くして私は眠ることにしました。それなりに指図を下してすっかり気を良くした私は、疲れたのか、急に眠気を催しました。ですからすぐに布団を敷かせ、床に就きました。
 その私の眠りを、一人の女中が妨げました。名は覚えていませんが、女中はこう言います。「庭先で妙な声が聞こえて不気味だ、見てきてくれ」と。私はあまり気が進みませんでした。そんなもの警備の者に任せれば良いだろうと言いましたが、皆外に出払っているとのことでした。
「なら大丈夫でしょう」
「しかし若様、さっきからずっと聞こえてくるんです。もう気持ち悪くて……」
「分かりました、ちょっと見てきます」
 丑三つ時、頃だったでしょうか。ともかく庭から不気味な声がしていました。能天気な、子供が童歌を歌っているような、妙な似つかわしくない声が。
 猫、かとも思いました。けれど、そんな声ではなかったのです。近づくにつれ、それが確かに人間のものであるという事が分かりました。
「誰かいるのですか?」
 庭に出た私の目に、男が一人、飛び込んできました。
奇妙な井手達でした。口の先が尖がった兜に、身体の半分に鎧、半分に着物を身に着け、羽子板を手にしていました。しかし肝心の羽はありません。羽は
「………?!!!!」

羽は、警備の者たちの頭、だったのです。

「だ〜あれだい?……あ、百式さんかな?」
 抜けた声を放ち、男は歩み寄ってきました。庭の土は、血を存分に吸っていました。警備の者たちは皆、男の羽子板で首を刎ねられ、息絶えていました。
 恐怖する暇もなく、男は近づいてきました。
「な、何者です!?」
怨燕えんえんです」
どこか子供っぽい、けれど確りとした大人びた声で、男はそう言いました。そして、何かを私に向かって放り投げました。
「はい。」
丸く重いものが、私の手の上で圧し掛かりました。ぬるっとした、生暖かい物でした。
 さっきまで言葉を交わしていた人間の首、でした。
「う……?!?!」
 吐き気と、恐怖と、悲しみとが一気に押し寄せ、何が何だかわけが分からない。かろうじて分かるのは、目の前の男、怨燕が無表情で此方を見ていた事くらいでした。何か果てしなく大きな危険を感じた私は、無我夢中で頭の中で術式を思い浮かべました。大気を一気に集約させ、小規模な爆発を起こす術です。それを、男の顔めがけて放ちました。
 激しい音がしました。何かの破片が私の顔に飛んできました。男はいません。塵にでもなったわけで無いことは分かりました。私の背後に、得体の知れない気配を感じたからです。私はとっさに身を翻し、男から離れました。
「な〜んかさ、違う。もしかして息子さん?ね〜ね〜ね、百式さんは、親父さんは何処だい?」
「あっ……ああ……」
「知らないって事はないでしょう〜♪ウソツキキライ!キライ!シネ〜♪」
 力に任せて男は羽根突き板を振り回します。私の鼻をかすめ、轟音を鳴らします。
「次は吹っ飛ぶぞ」
「………!」
無意識に、私は逃げました。
 私はそれまでに何度か暴漢の類を相手にしてきましたが、こうした相手は初めてでした。何もかもが違う。常軌を逸している。逃げながら私が放った術を、渾身の力を込めて撃った一撃を、男は避けるでもなく、自ら受けたのです。私は自分の腕に自身がありました。当たれば屋敷もろとも砕き崩すことも有り得るような一撃を受けて、男はただ、少し吹き飛ばされただけでした。そしてすぐに起き上がり、不機嫌な顔を私の方に向けました。
 何が起こっているのか理解ができませんでした。父を超えた私の術が、どうにもならなかったのです。その時、男と自分の立っている場所が、見ている世界が違うという事を把握しました。
私は死ぬのだ。
 男は私を明らかに殺すつもりでした。紅く雫滴る羽子板を携えながら、男はまた近づいてきました。
柄になく泣き喚きながら私は思いつくだけの術を放ちました。男は受けては立ち上がり、時にはその羽子板で叩き落し、徐々に私との距離を近づけていきます。
「ど〜っこどこどこ、お父上はどこですかぁ?」
 男の顔が私の前にありました。それこそ鼻の先に。男の息が私の顔にかかります。私の身体が冷たい汗を掻いているのがわかりました。
「ああ……」
「百式さんは何処行ったあ?じゅうろくだいめさんは、ど〜こいった?」
「……出かけました」
「何処にぃ?」
男がゆっくりと羽子板を振りかぶりました。
「父は……」

 その時です。向うの方から声が聞こえてきました。人の姿が見えました。知らない顔でした。
「怨燕」
男の名を呼びました。
「目を離すとすぐこれですからねぇ……あんまし私情で動かないでくださいよ」
これまた奇妙な身形です。名を呼んだ方の男は、全身を鉄の『羽根』で覆い、身体にあっていないぶかぶかの西洋兜を被っていました。
「あんまし決まりは破らないで下サイね。処刑する方の身にもなってくださいよ。……とは言っても、貴方は処刑を免れている身、ですけれど」
西洋兜の男は、羽子板の男に近づいていくと、固めた拳で『げんこつ』をしました。
「いたっ」
「はあ……。よく分からないですねぇ、貴方の伽羅。ま、殺されたら堪んないんで何も言いませんけど」
疲れた声で男は言います。私はわけも分からず見ていました。
「御頭がお呼びです。緊急事態です」
「何かあったのかぁ?」
「……『蒼き栄光』が脱走しました。『処刑専門』を殺して、ね。そういうわけで私が今度から正式な『処刑専門』になったわけですが」
「マジ?やるなあ、『蒼』の奴。俺も脱走しよ〜かな」
「止めてくださいね。本気でやりかねないんだから、貴方の場合は」
 そして西洋兜の男は溜息を吐き、私と目が合うと、「スイマセン」とだけ言い、羽子板の男を連れて帰って行きました。
 結局なんだったのか、私には終始分かりませんでした。
 そして男は詠います。
「さあさ皆様お立会い♪ さあさ皆様殺し合い♪」
 首を刎ねられた警備の者たちの死体を踏みつけながら、羽子板の男、怨燕も去っていきました。最後に少しだけ振り向きました。無垢な瞳でした。でした、が、その目で、狂気と狂喜と凶器とを織り交ぜ、口元だけを笑わせました。
「つーわけで然様なら。『吟喃』の役無しブタ、『狂気乱舞』の怨燕でしたぁ〜」

 独りになった屋敷の廊下で、私は暫し自分の手を眺めていました。
私は無能だ。何もできなかった。人を、死なせた。
何もかもが虚ろに見えました。自分が馬鹿で間抜けで滑稽に思えました。
「若様ぁ!?」
 女中たちがやって来て、早速悲鳴を上げました。気付かぬうちに私の左肩から濁濁と流れていた血を見て、驚いたのでしょう。私は何も語ろうとも、動こうともしませんでした。慌てふためき奔走する女中たちを見ながら、方やで死んだ警備の者を見ていました。
私の目には、あの男の最後の嗤い顔が色濃く焼きついていました。私は、何故だか可笑しかった。だから笑った。笑って、泣きました。
思えばあの時からです、家に縛られるのが嫌になったのは。もっと世間を知らねば、と思うようになったのは」




 薄暗闇の中には、百式と大僧正が、二人。
後悔などいかなる場合でもすべきではない、というのが百式の信条ではあったが、この時ばかりは僅かな悔恨が浮かび上がった。自分の過去をこうも吐露してしまったことに対する悔やみ。見つめたままの木像の目が、痛い。
「……どうやら準備が整ったようです」
「そうですか」
大僧正が告げる。それでも振り返らない。少しだけ、目を細めた。像は睨む。
「大僧正様。この像は、何を模したものなのですか?」
「これですか。これは、鬼神です」
「鬼神……」
百式は胸の奥で笑った。見上げる鬼神の像も、少しだけ笑った気がした。
(自嘲とは、柄にもない)
 それでも乗り越えてみせる。過去も未来も、何もかも。
「…さあ、始めましょう」
 暗闇の中で、炎は揺れる。


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